来年1月で100回記念大会を迎える箱根駅伝。大型連載第2部では、大舞台へしのぎを削る県勢大学を紹介していく。
神奈川師範時代を含め、戦後復活1回目となった1947年第23回東京箱根間往復大学駅伝競走(箱根駅伝)から10年連続で出場した横浜国大。
過去には大会史上初の途中棄権もあったが、当時のグリーンのたすきには日本教育の未来への思いも込められていたという。
師範学校の系譜を受け継ぎ、教員養成に重きを置いていた国大。11人きょうだいの次男・武井英雄と三男・孝雄(ともに故人)も教員を目指しながら東海道を駆け抜け、躍進を支えてきた。
国大の駅伝強化は「(ロードで)先人の足跡をたどること。それは教育の本質でもあった」。そう語るのは、末っ子五男で、陸上部OB会元会長の吉田(旧姓武井)信男(77)。自身も長距離に励んだが、夢の箱根駅伝には届かなかった。だからこそ、偉大な兄を今でも誇らしく思う。
スタイルの父
神奈川県勢大学編 横浜国大 駅伝強化に教育の本質 先人織り成す人間模様
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第31回大会3区を走る武井孝雄(中央)と左のバイクの後ろから指示を送るコーチの兄・英雄(小田原高校同窓会史料委員会提供) [写真番号:1203404]
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横浜国大のユニフォーム [写真番号:1203406]
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現在も予選会出場を目指して活動する横浜国大の中長距離ブロック=10月、同大学グラウンド [写真番号:1203407]
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横浜国大で箱根駅伝を走った武井孝雄・英雄の弟で自身も陸上部だった吉田(旧姓武井)信夫さん=5月、松田町 [写真番号:1203409]