【東京五輪】 緊急事態宣言下の劇的な大会 記憶に残るのは

ダン・ローアンBBCスポーツ編集長

Image showing Tom Daley, Matty Lee, Simone Biles and a member of the public wearing a mask and using hand sanitiser

画像提供, Getty Images

画像説明, 近年最も開催の是非が議論された東京オリンピックだったが、数々の素晴らしい瞬間も相次いだ

東京の夕暮れの空は素晴らしい。こちらの体力を奪う日中の気温と湿度が次第に和らぎ始める、その宵闇の時間こそ、今年の夏にこの街を訪れた大勢の記憶にとどまる光景の一つ、大勢が名残を惜しむ景色の一つだろう(文中敬称略)。

ほかに類を見ない今回の大会にも、宵闇が訪れている。オリンピック関係者は荷物をまとめて、この街を離れようとしている。とすればなおのこと、現代において最も開会の是非が問われた大会の一つだった東京五輪が、今後どのように記憶されていくのかが、今後あらためて問われるようになる。

もちろん、どのオリンピックもほかとは違う。しかし「東京2020」は本当に、前例のない大会だった。この17日間で確かに、劇的なスポーツのドラマが相次ぎ展開された。しかしそれでもこの大会は今後もずっと、「コロナ五輪」、「COVID五輪」として記憶される。今のパンデミック下の初のオリンピックで、緊急事態宣言下で開かれる初のオリンピックで、そして無観客で行われた初のオリンピックだった。

これだけの難問を前に、この大会がそもそも閉会までこぎつけ、そればかりか実に多くの特別な瞬間を提供したことは、ある意味で小さい奇跡だったと捉える人もいるだろう。あるいは、スポーツの不屈の精神、そして開催国のたくましさを強力に示すシンボルとなったと評価する人もいるだろう。賭けは成功したのだと。

しかし同時に、主催者側の判断や思惑にこれほど厳しい目が集まったのも、過去にあまり例がない。とりわけ国際オリンピック委員会(IOC)については、複数の大きな疑問が浮上した。あくまでも今大会を実施するのだと突き進んだIOCの判断が、果たして賢明なものだったのか、十分に検討され評価されるまで、まだしばらく時間がかかるだろう。

私は開会式の報道を担当した。五輪の開会式といえば伝統的に、世界中が同じ経験を共有する一大イベントのひとつだ。しかし東京大会の開会式が行われた新国立競技場は、壮観ではあるものの、がらんとしていた。選手団の入場は人数が制限され、スポンサーの姿も少なく、競技場の外では五輪に反対する人が大きな音をたてて抗議デモをしていた。そして約1兆8000億円もかけた巨大なパーティーから、地元の人たちは締め出されていた。これほど悲しい、そして非現実的な経験は、私はほかにほとんど覚えがなかった。

そして、あの夜の光景ほど、パンデミックの時代を強力に象徴するものは、そうそうないはずだ。

動画説明, 【東京五輪】 規模を縮小した開会式、前回との違いは

しかし、開会式は要するに、テレビ用に作られたイベントだった。それだけに、現場にいた私たちの感じ方と、遠くから見ていた人たちの感じ方はめったにないほど遠く隔たっていた。2012年のロンドン大会、そして2016年のリオ大会のあの活気と喜びにあふれた雰囲気や、最近では今年夏に観客を入れて行われたサッカーの欧州選手権(ユーロ2020)の雰囲気を経験しているだけに、無観客オリンピックの取材は、とても奇妙な経験だった。

ファンのいない会場を訪れるたびに、否応なく、本当ならどうなるはずだったのか考えざるを得なかった。さらには、このオリンピックに費やされた巨額の資金に、ほかにどういう使い道があったのかも、考えざるを得なかった。

数限りないルール、規制、そして連日の検査。加えて、いつ自分のスマホ・アプリが鳴りはしないかという絶え間ない不安(いざアプリが鳴れば2週間、隔離しなくてはならない)。そうしたもろもろが、この大会では選手にとって、関係者にとって、そして報道陣にとって、きわめて不安でストレスの多いものだった。

しかし、リオ大会も数々の難問に直面しつつも、結果的には印象深い優れた大会となった。同じように今回の東京2020も、選手たちのおかげで救われたという印象だ。イギリスでは、日本との時差はかなり厄介だったし、がらがらの会場への懸念や、開会前の相次ぐトラブルで、視聴者の関心はどうなることやらと思われたが、実際には大勢が熱心に試合を観ていたし、今回のオリンピックは実にオリンピックらしい見事なものだったと記憶するだろう。

イギリスの人たちは毎朝のように、チームGB(イギリス代表チーム)がまたメダルをとったという素晴らしい知らせに目を覚ました。新世代のスターが続々と誕生したほか、数々の感動的なプレー、革新的な新しい競技、ジェンダー混合種目などが、見る人たちの想像力をかきたて、夢中にさせた。

今年6月から7月にかけてのユーロ2020と同じで、COVID-19に疲れ果て、何か気を紛らして感動させてくれるものを渇望していたイギリスの人たちは、今回のオリンピックをかつてないほど必要としていたし、ありがたいと思っているようだ。

3大会での連覇に挑んだローラ・ケニー(自転車トラック)や、単独大会で4つの金メダル獲得というイギリス史上最多の記録を作ったダンカン・スコット(競泳)の偉業に、心を打たれない人はいるだろうか? あるいは、3大会連覇のハナ・ミルズ(セーリング)や、通算獲得メダル6個でイギリス女子選手最多となったシャーロット・デュジャルダン(馬術)の功績に。

加えて、まだそれほど知名度はない若手が次々と台頭した。イギリス女子として初のウエイトリフティングのメダルを獲得したエミリー・キャンベル。ボクシング男子フライ級で金メダルを得たガラル・ヤファイ。負傷を乗り越えトライアスロン男子個人で銀、トライアスロン混合リレーで金を獲得したアレックス・イー。「360度バックフリップ」という大技を決め、自転車BMX女子フリースタイルの金メダルをとったシャーロット・ワージントン。女子BMXレーシングで優勝したベサニー・シュリーヴァー。皆が見事な活躍で、私たちを奮い立たせてくれた。

悲願の金メダルをついに獲得したトム・デイリー(高飛び込み)や、男子4×200メートルフリーリレーと混合4×100メートルメドレーリレーで金メダルを得たジェイムズ・ガイの喜びの涙。そして、短距離走で思うような成績が出せなかったディナ・アッシャー=スミスの無念の涙。こうした数々の表情に、イギリスでは多くの人が感動した。あるいは、イギリス代表の競泳陣やボクシング、セーリングのチームの総じて見事な成績に関心した。

トム・ディーンが競泳男子200メートル自由形で金メダルを獲得した時、英南部メイデンヘッドで見守る家族や友人たちが手放しで興奮と喜びと情熱をむきだしにした姿に、イギリスでは大勢が一緒になって喜んだ。何年も身を粉にして訓練し、信念をよりどころについに目標を実現した選手と、彼を支えた人たちからほとばしる誇らしい思いは、実に心温まる象徴的な光景だった。若いアスリートを支えるために自分の時間を犠牲にしたことのある親やコーチなら誰でも、あの歓喜の姿がいったい何を意味するのか、理解できたはずだ。

世界新記録衝撃の番狂わせシンボリックなスポーツマンシップ。様々な場面が繰り広げられ、話題に事欠かない大会が作られていった。

実際のところ、東京2020に参加したすべてのアスリートにとって、出場したこと自体が勝利だ。大会の延期と相次ぐロックダウンにもかかわらず、いかに自分がたくましかったかの表れだ。

ワクチン接種が大きく遅れる日本の人たちの大半、そして地元の医師会など医療の専門家たちは、この大会の開催に反対していた。それでも実施するのだと譲らなかったIOCは、世界保健機関(WHO)が大丈夫だと言っていると主張した。さらに、自分たちはアスリートのために大会を開くのだと、言い続けた。

ほとんどの選手は(そして観戦を楽しんだ人たちは)、長年の訓練が無駄にならなかったことをありがたく思っているはずだ。特に、今大会が五輪選手として唯一の機会だった人にとっては。

日本のメダルラッシュも、大会に対する国民の怒りをいくらか和らげる助けになったようだ。6日の夜にも抗議する人たちは競技場前に集まっていたが、前よりは明らかに数が少なく、前ほど声高ではなかった。

しかし、五輪に批判的な多くの人は、数百万ドル規模の放送権契約こそ、再延期や中止を認めなかった本当の理由だと主張する。そしてそれゆえに、IOCを見る目は今後さらに厳しくなるだろうと考える人も多い。五輪の開催都市は2032年までの3大会についてはすでに決まっているが、招致しようという自治体は今後はますます見つけにくくなるかもしれない。

動画説明, なぜ五輪は決行されるのか、BBC司会者が解説

緊急事態宣言下でも東京の大部分は、いつも通りの社会生活を続けていた。そのため、特に大きな屋外会場がなぜ無観客でなくてはならなかったのか、なかなか理解しにくい時もあった。

一方で大会関係者は、五輪に合わせて海外から数万人が来日したにも関わらず、関係者からは約400人余りしか検査陽性者が出ていないと主張することもできる。スポーツ界は、五輪のような複雑で大規模なイベントでも、厳しい感染対策を徹底さえすれば、ウイルスは抑え込めるという先例にしたいと期待するだろう。

同様に、きわめて不運な選手数人が感染のため出場できなくなった一方で、選手村で大規模な集団感染が発生し、競技が台無しになるという懸念は当たらなかった。

それでも五輪バブルの外では、7月に五輪関係者やスポーツ選手が東京にやって来るようになって以降、それまで1日1000人程度だった東京の1日当たりの新規陽性者は、5000人以上という記録的な人数に急増してしまった。

大会側は、五輪と感染拡大を結び付ける証拠はないと力説する。一方、五輪が始まって人の気が緩み、対策が徹底されなくなったと指摘する声もある。

日本政府は、中等症の感染者に対し、病床が逼迫(ひっぱく)する病院ではなく自宅で隔離し療養するよう要請を始めた。今後数週間の内にさらに感染者が増えた場合、このような状況で大会続行を決めたことがあだとなる可能性はある。

東京大会では、IOCへの監視の目が他の領域にも及んでいる。

酷暑の中での開催は、選手の安全にかかわる問題だと言われた。ベラルーシの女子陸上クリスティナ・ティマノフスカヤがコーチに帰国を強制されそうになった出来事は、ベラルーシでのスポーツ選手の立場を浮き彫りにしたとともに、IOCが選手を守るためにもっと積極的に対応すべきなのかも問われた。

ニュージーランドのローレル・ハバード(ウエイトリフティング)は、生まれた時とは違う性別で五輪に出場する、トランスジェンダーだと公表した最初のアスリートとなった。スポーツ界で特に議論されているトランスジェンダーの選手の扱いをめぐり、IOCの方針についても議論が激化している。

ほかにも、メンタルヘルス(心の健康)の問題を理由に体操女子団体決勝を途中棄権したアメリカのシモーン・バイルス、女性選手の体型をからかう「ボディー・シェイミング」を指摘した女子棒高跳びの米ホリー・ブラッドショウ、気候変動に言及したイギリスのハナ・ミルズ、表彰台の上で両腕を上げて頭上で交差させ人種・社会的差別に抗議した陸上女子砲丸投げの米レイヴン・ソーンダース、ロシアのドーピング問題への懸念を示したイギリスのルーク・グリーンバンク(競泳)など、オリンピックの重要性はメダル獲得にとどまらなくなっている。

イギリスとしては、ここ数年頻発している選手の身の安全をめぐるスキャンダル、「正しく」勝利するという新しい概念、そしてメダル獲得数に「修正」が入るという予測を考えると、東京大会でのメダル獲得数は大きな勝利と言えるだろう。イギリスは、前回リオ大会ではメダル獲得数2位だった。

伝統的にイギリスが強いとされてきたボート競技では、1980年以降で初めて金メダルを逃した。このため、五輪・パラリンピック用の強化費を提供する英政府機関UKスポーツは、ボート・チームに通常与えられてきた数百万ポンドを今後どう分配するか、世論の圧力を受けることになるだろう。しかし、ボートでの落胆とは裏腹に、自転車競技の新種目BMXやスケートボードなどではイギリス選手の活躍が目覚ましかった。このことは、新しく若い視聴者の獲得につながるはずだ。

選手の健康や安全への配慮が注意義務として強調された今大会、イギリスのメダルは減るのではないかと事前に懸念されていた。しかしその逆の結果となった今、安全重視とメダルの数は、両立できるのかもしれない。東京五輪はそれを実証した可能性がある。

私は8年前のブエノスアイレスで、東京が2020年大会を勝ち取った瞬間を目にした。1964年の東京大会が第2次世界大戦からの復興を示したように、2回目の五輪開催を、2011年の東日本大震災からの復興の象徴にするという約束は、説得力のあるものだった。

もちろん実際の東京大会は、大きな危機からの復興の象徴というより、別の大きな危機にその在り方を決定づけられるものとなってしまった。

しかし究極的には、パンデミックほどのとてつもない事態でさえ、オリンピックを否定することはできなかった。そのことにほっとする人も、がっかりする人もいるはずだ。そして、東京五輪の開催が正しかったのかどうかは、今後ずっと議論されていくだろう。しかし、今のように不安に満ちた時代でも、スポーツ選手は今まで通り、あふれる元気で大勢を励ましてくれる存在であり続けた。それは確かなことに思える。

順位