【巨人】阿部、27日の本拠地最終戦に4番・捕手でスタメン出場…マシソンと名バッテリー再結成

スポーツ報知
現役引退を表明し、記者会見で笑顔を見せながら質問に答える阿部(カメラ・矢口 亨)

 今季限りで現役引退する巨人の阿部慎之助捕手(40)が、レギュラーシーズンの本拠地最終戦となる27日のDeNA戦(東京ドーム)で捕手に電撃復帰することが25日、分かった。同戦は「ありがとう慎之助」と銘打って開催され、試合後にはセレモニーなども企画される中、スタメンで「4番・キャッチャー阿部」が帰って来る。長年苦楽をともにしてきたマシソンが先発マウンドに立ち、名バッテリーが再結成される。阿部はこの日、都内のホテルで記者会見し、現役引退を表明した。

 背番号10に最も似合うのは、扇の要にどっしり腰を下ろす姿だ。「ありがとう慎之助」―。27日のDeNA戦に阿部が「4番・捕手」でスタメン出場することになった。原巨人の黄金期を象徴するのは、やはりキャッチャーマスクをかぶってナインを引き締め、打っては4番でバカスカかっ飛ばす阿部。当日の起用法について原監督は「まあ見ててください」と不敵な笑みを浮かべたが、レギュラーシーズンの本拠地最終戦で、おなじみの雄姿がよみがえる。

 先発マウンドに立つのはマシソンだ。引退会見で阿部は、もう一度受けたい投手について「たくさん優勝も経験して、日本に長くいるマシソンかな。(ファウルチップを受けて)首に激痛が走った時も、投手はマシソンだったので」と明かしていたが、実は水面下で直々に依頼。阿部を師と仰ぐ右腕も快諾し、1イニング限定で名バッテリーが復活することになった。

 今年は4年ぶりの捕手復帰を目指してスタートするも、オープン戦期間中に足を痛めて断念した。打撃に専念すると決めて開幕直前に1軍復帰したが、有事に備え、ビジターゲームにも常にキャッチャー道具一式を持ち運んでいた。本格的な捕手練習からは数か月間遠ざかっているものの、24日の阪神戦(甲子園)の試合前練習では、感覚を呼び覚ますために外野で沢村の剛速球を受けた。捕手への電撃復帰に向け、原監督からは「けがだけはするなよ」と念押しされたというが、ブランクはあれど、キャッチャーの動きは体に染み込んでいるはずだ。

 今季限りでユニホームを脱ぐと決めた理由について、「一番は、勇人が主将になって優勝できたので。ある意味、僕も荷が下りた。それで決断したところはあります」と明かしたように、チームの世代交代が進み始めたという安心感が背中を押したようだ。限界を感じて身を引くわけではないことは、誰もが分かっている。ファンへの感謝の意味も込めて、もう一度キャッチャー姿を披露するが、区切りであって、終わりではない。

 CS、日本シリーズが待っている。勝ち抜くためには、阿部の力が必要だ。「常勝軍団と言われますが、本当にその通り。『勝って当たり前』と思われる中で勝つ難しさは、みんな実感している。現場でプレーしている選手しか感じられないものがある。そこは、特別なのかな」。最後の最後まで、伝統を背負って戦ってきた阿部慎之助であり続ける。

 ◆巨人阿部の捕手 公式戦で最後にスタメンマスクをかぶったのは、15年5月31日の楽天戦(コボスタ)。「4番・捕手」として先発出場したのは、同年4月10日のヤクルト戦(東京D)がラスト。オープン戦を含めれば、今年3月3日のヤクルト戦(東京D)で7回から捕手に入っている。

 ◆阿部 慎之助(あべ・しんのすけ)1979年3月20日、千葉・浦安市生まれ。40歳。小学1年から浦小クラブで野球を始め、中学では浦安シニア。東京・安田学園高では通算38本塁打。中大に進学後、2000年のドラフト1位(逆指名)で巨人入り。タイトルは首位打者、打点王、最高出塁率(いずれも12年)。180センチ、97キロ。右投左打。年俸1億6000万円。

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