身をもって理解した「軍船での船酔い」の苦しさ
山根 だいぶ以前の話ですが、雑誌『歴史街道』(PHP研究所)の依頼を受けて復元した咸臨丸の復元航海を経験したことがあるんです。
播田 えっ、それは驚いた。
山根 九州から瀬戸内海を通り明石海峡大橋の下をくぐった時は感動しました。後、横浜までの航海でしたが、食料も水も咸臨丸の渡米航海と同じ条件でやってみたんです。私は当時の技術将校役だと言われ、和服を着て乗船。食料は干飯と梅干、煮干だけ。水は1日2Lに制限されていました。
私はマジメにそれで過ごしましたが、同乗した写真家の浅井慎平さんは毎食、すごいご馳走を食べていましたが(笑)。なによりも真水の制限が厳しかったですね。風呂の代わりにそれだけの水で体も拭かなくてはいけなかったので。もっとも海はずっと凪いでいたので船酔いは免れましたけど。
播田 凪いでいたのはよかったですね。船酔いは兵士の戦闘能力を低下させる大きな要素なんです。船の揺れには、短周期の振動と長周期の動揺の2種があります。船酔いは、船に1時間乗った時の上下加速度と周期による嘔吐率で計算できますので、これも船の設計では重要な要素です。
文永の役で蒙古軍は日本出撃日が遅れたため、対馬海峡や玄界灘の波が大きくなる11月に入っていました。対馬海峡の11月の波周期は6秒、平均波高1.1mです。蒙古軍船はその復元構造から船速3ノット(時速5〜6km)で航行していたとして計算すると、船に慣れていなかった大陸系の兵士たちは激しい吐き気、嘔吐、食欲不振によって体力を消耗し、博多上陸時には総兵員の3分の1は戦意を喪失していたことが伺えました。
山根 はぁ、ばっちい話になりますが、船の設計ではどれくらいゲロを吐くかまで計算しているとは! それにしても「蒙古軍兵士はひどい船酔いだった」なんて書いてある歴史書はないでしょ。実は私、24歳の時に海上自衛隊の遠洋航海に同行取材しているんです。
播田 ホントですか!?
山根 練習艦隊は3000t級の護衛艦「もちづき」と練習艦「かとり」の2艦編隊ですが、自衛艦は乗り心地を優先しているわけじゃないのでキツかったです。ミッドウェー沖などで、突然、「国籍不明潜水艦を発見!戦闘配置につけ!」という艦内アラートが響くなり、アスロック対潜ミサイルやらボフォース対潜ロケットミサイル(模擬弾)をズボーン、ズボーンと発射。敵の魚雷を避けるため「戦速!面舵一杯、ヨーソロー!」のジグザグ航行では、艦が倒れるのではいうほど傾いて急旋回。
実戦さながらの訓練の日々ゆえ、最初の数週間は吐き続けで体力が消耗し痩せました。自衛隊員たちは「山根はアメリカに着いたら下船して日本に逃げ帰るぞ」と噂していたそうですが、根性で南米まで地球半周の3ヵ月間の過酷な航海を全うしました。48年も前の話なので時効と思い披露しました。
播田 今ではあり得ない経験です。
山根 この遠洋航海、経費削減のため今は行っていないようですが、身をもって蒙古兵の消耗がよく理解できました(笑)。播田さんは、当時の地球気候データを元に今とは異なる水深、海岸線の位置などの検証もしながら、大型軍船300隻の兵士は一気には博多に上陸できなかったはずと書いています。