クロヴィス・オルランディ
CV:河村眞人
SAMPLE VOICE 01
SAMPLE VOICE 02
あらすじ

「この身と魂、そして我が誇りのすべてを懸けてお守りいたします――」


ティリア王国 アルドナート公爵家の娘であるあなたは隣国のラウルス王家に嫁ぐことが決まった。
そんなあなたの結婚を祝い、流行りの仮面舞踏会が開催される。
仮面を着け、煌びやかに装った男女が秘密の匂いを纏う、華やかな夜。
娘として自由でいられる最後の楽しい思い出になるはずだった――。

舞踏会は不満を持った平民たちの突然の乱入により、大混乱に陥る。
混乱の中控えの間に逃げたあなたがそこで見たものは
血まみれで倒れている公爵――父と、父を手にかけている腹違いの弟レオだった。


※本作は2種類のエピローグが収録されております。
お好きなエンディングを選んでお楽しみいただけます。

※本シリーズは全3巻で構成されております。
1巻ごとに完結しておりますが物語は繋がっておりますので、
3巻全てお聞きいただくとよりお楽しみいただけます。
キャラクター紹介
騎士一族オルランディ家の次男で、アルドナート公爵家を守護する近衛騎士団長。
生まれながらに近衛騎士団に入隊することが定められていた為、幼い頃から公爵家に通い8歳下であるあなたの幼馴染兼お世話係としてよく遊んでいた。
現在はその頃の面影は無く厳格な騎士として仕え、あなたを厳しく諌める。
世界観
【アルドナート公爵家】
ティリア王家の傍流で王位継承権を持つ。
近親婚を繰り返し行っていた家系であり、その結果狂気に堕ちた血筋として『血まみれ王妃』を輩出してしまった為、現在は近親婚の頻度が減っている。
過去に王妃を輩出していることから身分としては王家に次ぐが、『血まみれ王妃』の伝説によりアルドナート家の者が王位を継ぐことはない。

【血まみれ王妃】
400年前にティリア第四王子へ嫁いだアルドナート公爵家令嬢。
その美貌は国を傾けるとまで言われた絶世の美女。
第一、第二、第三王子が相次いで早世や失墜し、第四王子が王位を継ぐことに。娘が王妃となったことで公爵家の位階は一気に上がり、隆盛を誇る。
やがて王妃は狂気に堕ち、色香で骨抜きにした王を傀儡として王室を支配すると同時に圧政を敷き、民衆を恐怖で縛り上げた。
投獄と死刑が王都の日常となっただけでなく、王妃は自らの愉しみのために奴隷を嬲り殺すようになる。
そこから激化して若い男の生き血を集めて浴びたり、切り取った臓器や性器を瓶詰めにして収集したり、猟奇的な性倒錯者へと変化していったとまことしやかに伝えられている。

【ラウルス王国】
ラウルス王家が治めているティリア王国の隣に位置している国。
ティリア王国と同様に小国で、国力は拮抗。50年ほど前に起こった戦争を経て現在は和平を保っているが、
古い世代を中心に確執が残っており、薄氷を踏むが如くの緊張感がある。


相関図


発売日
2019年4月26日(金)
定価
¥2,420円(税抜価格2,200円)
JAN
4520424256594
品番
HBGL-017
シナリオ
高岡果輪
イラスト
一野
企画・ディレクション
黒抹茶
ジャンル
女性向けシチュエーションCD
(18歳以上推奨)
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特典情報
特典付き限定版はこちら
通常版はこちら
ドラマCD SAMPLE
ドラマCD
バッドエンドアフター「陰翳の騎士」
※Hシーン有
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通常版はこちら
ドラマCD SAMPLE
ドラマCD
ブロマイド
トラック5.5「本懐」
※Hシーン有

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ドラマCD SAMPLE
ドラマCD
SSペーパー
ハッピーエンドアフター「陽光の誓い」
※Hシーン有
ショートストーリー

「――姫様。聞いておられますか」
「え、ええ。……ごめんなさい」
明日の予定を私が読み上げている間、心ここに在らずだったことは自覚していたのだろう。彼女は主にあるまじき素直さで私へ謝罪した。
「ご結婚を控え上の空になるお気持ちはわかりますが、アルドナート公爵家の姫君として恥ずかしい振る舞いはなさらぬように」
「はい」
あえて厳しい言葉を選ぶと、目に見えるほどに姫様はぎゅっと身を固くして萎縮する。それでもうつむくことなく凜と前を向き、私へ微笑みを向けてみせた。
「結婚を祝う舞踏会まで、あと一週間しかないなんて……時間が経つのは早いわね」
みっちりと詰まった社交界への出席スケジュールに目を通し、姫様は微かなため息を漏らす。
私に心配を掛けぬようにか、それともこれ以上小言を言われないようにか、姫様は疲労の色を表に出さぬよう努めて穏やかに笑みを浮かべた。
「……何か、気がかりなことでもございますか」
「え?」
優美な笑顔の奥に隠れているのは単なる疲れだけではない。幼い頃からずっと見守ってきた私には、彼女の表情や動作から機微をある程度読み取ることができた。
「クロヴィスに隠し事はできないわね」
そう言うと、姫様は完璧な姫君のお顔から少女の頃のような無邪気さを覗かせる。
「流行りだからと無理を言って仮面舞踏会にしてもらったから、少し心配なの。いらっしゃる皆様にも楽しんでいただけるといいのだけれど」
「中には眉を顰める方もおられるでしょうが、娘として最後の思い出となる大切なひとときです。お気になさる必要はありません」
「ふふっ、他でもないあなたにそう言ってもらえると勇気が出るわ。最初は、はしたないって叱られるかと思ったんだもの」
くすくすと笑う姫様が、ふと遠い瞳で窓の外を見つめる。
「レオは、出席してくれるかしら……」
一週間前だというのにまだ招待状の返事が届かないの、と姫様は再び小さなため息を吐く。彼女に憂いを落としていたのはこれだったのかと合点した私の心に、じわりと苦いものが滲んだ。
「アルドナートの姓を賜ったとはいえ、卑しい生まれまでは変えられない。立場を考えれば、レオは祝賀の席になど当然出るべきではありません」
「――…………」
口を開きかけたが、姫様は悲しそうな表情ですぐに押し黙る。
私が従者として主を戒める冷たい態度を取る度に、彼女もまた主として従者の思いを慮るようになっていた。

(ああ……こんなお顔をさせたくないのに)
長く戦を続けてきたラウルスとの国交を改善するために、我が国ティリア王室の傍流であるアルドナート公爵家の姫が嫁いでゆく。
隣国ラウルスの王太子と姫様の婚姻は、あからさまな政略結婚だ。
(それでも、私は姫様の幸福を願わずにはいられない――)
過酷な未来が待ち受けているからこそ、楽しい思い出をたくさん持って行って欲しい。心を塞ぐものなど、あってはならない。

「出るべきではありません、が――仮面舞踏会の開催が決まってから、レオの母君マダム・フローラが彼の新しい礼服を仕立てるよう手配しておりました。……それが、出席の返答かと」
「本当? ああ、よかった……公爵家の敷地内でも顔を合わせることは難しいのに、ラウルスへ嫁いでしまったら完全に会えなくなってしまうもの。最後に、弟に会えるのなら嬉しいわ」
『弟』と姫様は一片の曇りも迷いもなく言うが、レオは公爵様が高級娼館メゾン・クローズの娼婦に生ませた子である。
病弱なノエル様の代わりになるようにと引き取ることが決まっても、正妻である奥方様は下賤の血を引く母子を決して認めなかった。
「今までお会いする機会がなかったけれど、舞踏会ではレオのお母様ともお話できるかしら? お名前ではなく皆から花の女神と同じフローラという呼び方をされているのですもの、きっとお美しい方なのでしょうね……!」
確かに元高級娼婦の彼女は花の女神の如き色香に満ちた美貌と豊満な肉体を持つ女性で、マダム・フローラという通称はぴったりに思えるだろう。
だが、それだけではない。
姫様はご存じないが、皆が使うその呼び方は「汚らわしい娼婦の名など口にしたくないし、耳にも入れたくない」と奥方様が定めたものだ。
豊穣神である花の女神フローラは奔放であり、彼女を冠した祝祭では性的な儀式が行われ、「売春婦の祭日」ともいわれるこの日娼婦たちは劇場で裸になって踊る。
そう……この渾名は美しく響くようでいて、実際は嘲りと蔑みに満ちたものだ。
使用人を束ねる女主人――奥方様が徹底的に母子を敵視すれば、当然すべての使用人がそれに従う。敷地の外れにある別邸には、誰も近寄ろうとしなかった。
(招待状の返事がまだ来ないというが、当たり前だ。レオがそれを受け取ったのは昨日のことなのだから)
これも奥方様の命令だったのか、姫様がレオへと出した招待状は使用人たちの手で留め置かれていた。
昨日、放置されている封筒を偶々見つけた私が、別邸へ密かに届けておいたのだ。
(私とて、レオを認めてなどいないが……姫様のためなら構わない)
姫様が喜ぶのであれば、心に広がってゆく苦い気持ちなど些細なものだ。
――今、私が願うことはただひとつ。
"最後の日"が来るその時まで、姫様が幸せであるように。


【7days ago】END

我がオルランディ家は代々、アルドナート公爵家に仕えてきた騎士一族。
昔から幼なじみのように過ごしてきたとはいえ、私は姫様の世話係でもあり、彼女とノエル様に忠誠を誓った第一の騎士だ。
彼女は、皆から求められる通り"完璧な姫君"でいなければならない。
私は、姫様がそうであるように"完璧な騎士"として付き従う。
それこそが、私たちにとって唯一無二の正しさなのだ。


自室に戻ってきて装具を解き、汗を流して着替えるとようやく安堵の息が漏れる。
時計の針はとうに日を跨いでいるが、まだ眠るわけにはいかない。
「警備計画に問題はなし……想定され得る状況をすべて洗い出し、当日まで訓練を重ねること」
机の上に山積みになっている報告書を確認し、近衛騎士団長の承認印を記していく。
婚姻を控え数多くの社交の場に出席される姫様の護衛を務めると同時に、6日後に公爵家で催される仮面舞踏会に向けての準備。
目が回るほど忙しい日々だが、この方が余計なことを考えずに済んでいいのかもしれない。

「各地での流行病による被害報告……ノエル様が仰っていた流感か」
近辺の所領では流感が猛威を振るい、死亡者も多数出ている。
アルドナート領では領民でも手に入れられる安価で薬を販売し、早期に予防薬を広めることができたから被害者数は段違いに少ない。それもすべて、ノエル様の采配であり英断だ。
もちろん公爵邸で働く我々にも予防薬の摂取は義務付けられており、罹患して主に害を与えることがないよう徹底されている。
「そういえば、今日の分はまだ飲んでいなかったな……」
ここのところ忙しさのあまり食事すらろくに摂っていないから、服用を忘れがちだ。
渡されている薬瓶のひとつを手に取り、独特の甘苦い液体を喉へ流し込む。
(やはり、ノエル様のお考えは素晴らしい)
アルドナート公爵家の嫡男、ノエル・アルドナート。
飛び抜けて優秀な上に見目麗しく、柔らかな気品と美しい威厳を兼ね備えた御方。
その儚げな風情から誰もが彼を守りたいと望み、彼の貴き慈愛に触れれば誰もが頭を垂れて膝を付く。
まさに、人の上に立つために生まれついたような方であるのに……運命は残酷だ。
彼は生来の重い病を抱えており、長く生きられない。寝付くこともしばしばあり、とても公爵家を継げる身体ではなかった。
ノエル様さえお元気でいらっしゃればと、皆が口を揃えて惜しまずにはいられない。
レオがノエル様の代わりに跡継ぎとして引き取られてから、長らく子宝に恵まれなかった第二夫人との間に待望の男子――ユーリ様が産まれたことで継承問題はとりあえず解決となった。
だが、ユーリ様は姫様やノエル様と十以上も歳が離れていて、未だ幼い。
ユーリ様が次期公爵となられるまではノエル様が現公爵家当主と共に公務を行い、病弱なノエル様の補佐をレオが務めていた。
(もし、ノエル様が次期公爵となれるお身体であれば……)
不貞の子であるレオは公爵家の一員にまでなることはなかっただろうし、己の立場に釣り合う場所で生きることができたはずだ。
娼婦の母子がアルドナートの姓を賜ったことは皆が羨むおとぎ話のような出来事ではあるが、分不相応な人生を強いられるレオにとってはただ幸運なだけではないのかもしれない。

「……ん?」
ふと、領地内を見回る第三隊からの報告に目が留まる。
街で起こっているひとつひとつの事件は小競り合い程度だが、その数が異様だ。
(ずいぶんと街が荒れているな……)
異常気象での不作とここ数年の不景気。他領に比べればましとはいえ、このアルドナート領も税を上げざるを得なかった。
民の暮らしは苦しくなる一方で、どんよりした暗い雰囲気の中で不満をため込んでいるだろう。
ティリア王国とラウルスを繋ぐ姫様の結婚で久々に国中が活気づいているからこそ、その鬱憤が悪い方へ作用することも充分有り得ることだ。
引き続き注意を怠らず充分に警戒するべしと、ペンを走らせて細かく指示を書き入れていく。
(姫様に万一のことも起こらぬように、万全を期さねば)
女性にとって一番の幸せは、高い身分の男性に嫁ぐことだとされている。
それならば、姫様はこの国で最も幸福な花嫁となることだろう。
「…………しあわせ、か」
幸運、幸福。そこに潜む本当の意味など、誰もわかっていない。

「姫様……私は、――――」

胸の内から湧き上がってきた言葉を噛み殺すように、ぐっと唇を引き結ぶ。
言ってはならない。迷いなどあってはならない。
私は、正しき騎士でいなければならないのだ。

深い呼吸をひとつしてから、震える手を組み合わせて祈る。どうか、あなたがしあわせであるようにと。
強く、誓う。
「――何があろうと、あなたをお守りいたします。姫様」


【6days ago】END

仮面舞踏会当日の警備計画書に抜けがないか、手に持ったランタンで足下を照らしながら敷地内を確認して回る。
(この時間になれば、人の気配もないな……)
裏庭まで来ると不要品をまとめておくゴミ置き場や庭師の物置などが建ち並び、夜ともなれば誰も近付かない。
ここから少し奥に入ればレオが暮らす別邸があるだけだから、余計に人の行き来のない場所だった。

「…………」
辺りを見回し、誰もいないのをもう一度確かめる。ランタンを消すと途端に暗闇に包まれ、立ち上るオイル特有の匂いが鼻に付いた。
眩い光を目に入れていた視界を慣らすため目を閉じ、少しの間じっと佇む。
(裏門までの道を、身体に覚え込ませる)
ここで灯りを点けていれば、敵に自分の居場所を報せるようなものだ。闇の中でも脱出経路を確保できるよう、備えるに越したことはない。
(……この行いが、無駄になっても構わない)
これは姫様と公爵家を守る警備に万全を期すためなのだと自分に言い聞かせ、いくつかの通り道を注意深く覚えていった。
「馬はここに繋いでおけるか……」
潜みやすい場所や、盲点となる場所を確認しながら何往復かした頃、不意に裏門の鍵が開く音が聞こえ――足音を忍ばせた気配が近付いてくる。
(なんだ……?)
こんな時間に外から入ってくる者などいるはずがない。剣の柄に手を掛けながら、私は暗闇の向こうに声を放った。
「――そこにいるのは誰だ?」
「…………ッ!?」
侵入者は息を呑み、足を止める。どうやら襲いかかってくる様子はないようだ。
私は急いで手元のランタンを点け、灯りを向けた。

「っ、眩し……」
「レオ?」
明るい光に照らされた姿はノエル様と姫様の腹違いの弟……公爵家では不義の子と疎まれている、レオ・アルドナートだった。
安酒と女の香水、そして血の匂いがぷんと漂ってきて、思わず眉を顰める。
町で下賤の女と遊んできたついでに、喧嘩でもしてきたのだろう。……どうしようもない男だ。
「こんな時間まで街で夜遊びか。……野良犬が」
「うるせぇな。あんたには関係ねぇだろ」
吐き捨てるように返され、静かな怒りがふつふつと滾っていく。
(姫様がお前を気に掛けて心配しているなど、知るよしもないのだろうな)
半分の血の繋がりなど、どうでもいい。こんな弟など見捨ててしまえばいいのにと思うが、そうなさらないのが姫様だ。
姫様の優しさは同情や憐れみでなく、真の心から生まれる強さだ。だからこそ、彼女は騎士が忠誠を誓う本物の姫君なのだ。
(この男だってそうだ……)
下賤の血を引く者、娼婦の子と誰にどれだけ蔑まれても、レオは我を忘れた怒りを向けたりしない。
公爵家の一員として相応しくあれと、私がひどい叱責をしても侮辱まがいの言葉を投げつけようと、ただじっと受け入れる。
そんなレオを見ていると……私は自分に嫌気が差すばかりだった。

「姫様はティリア王国とラウルスを繋ぐ大切な婚姻を控えていらっしゃる。公爵家にとっても大切な時期だ。妾の子とはいえお前もアルドナートの名を持つことを許されているのだから、立場を弁えてくだらない遊びは慎め」
自分が正しいことを言っているという自負はあるが、何故こんなにも嫌な気持ちになるのだろう。……わからない。考えたくもない。
「はいはい、わかりましたよ。ナイト様」
「…………」
以前から何度も繰り返されてきた小言に肩をすくめ、レオは私を『ナイト様』と呼ぶ。
(民の理想を体現する者。純然たる善で正しき行いを成し、規範となる者――それが騎士だ)
この国の皆が私を聖騎士と称え、理想を形作るものとして憧憬の目で見る。
騎士(ナイト)であり、叙勲によって爵位を得る士爵(ナイト)。
……ああ、わかっている。
レオに悪気など微塵もないし、むしろ敬う気持ちが含まれていることだって伝わってくる。
(だが、それが私にとってどんなに惨いことであるか……こいつは知らない)

「……? クロヴィス?」
急に黙り込んだ私を心配そうにのぞき込んでくる瞳は闇の中でも澄み渡り、輝くような若葉の翠で……姫様と同じ色だ。
「気安く呼ばないでもらおう」
自分の汚さが浮き彫りにされるようでいたたまれなくなり、顔を背ける。
突き放すような冷たい物言いに少しむっとしたのか、レオは私の脇を足早に通り過ぎようとした。
「俺だって、あんたと話すことなんてねぇし。じゃあな」
「待て」
「あぁ? なんだよ、まだ何か――」
その時、レオを呼び止めたのは何故なのか……自分でもわからない。私は装備品の中から、いつも携帯している薬袋を彼に放ってやった。
「使え」
「なんだ、この小袋……」
オルランディ家の紋章が刻まれた革袋を開いたレオは、中身を見て驚いたような顔をする。まさか、私から気遣われるなど思いもしなかったのだろう。
「いくら仮面で隠れるといっても、傷の残った顔で姫様のめでたい席に出るなど許さない」
「……は?」
「さっさと治せ、汚い血で邸内を汚すな」
それだけを言い残し、私は彼に背を向けて歩き出す。

(わずかながらの罪滅ぼしか、無様な感傷か――どっちにしろ、私は愚かだ)
自嘲の笑みすら浮かべることもできず、唇を噛み締める。
月も星も、重く垂れ込めた雲に隠された夜。激しく揺れる心。
小さなランタンと、姫様への想い。私が往く道を照らすのは、どちらもただひとつの灯りのみだった。


【5days ago】END

社交シーズンの今は皆こぞってタウンハウスへと移り住むため、街から離れた田園地方にある貴族の邸宅はどこも空で静まり返っている。
オルランディ家の別邸も例外ではなく、誰の気配もない家は不気味なほど静かであった。

「思ったほど埃っぽくはないな」
閉めきっていたせいで籠もっていた空気を入れ換え、ある程度の掃除を済ませてから必要な物を揃えておく。
水回りや暖炉の用意、日保ちのする食料と清潔なリネン類。普段公爵家で見ている物に比べればどれもこれも質素だが、快適に過ごすことは可能だろう。
「確かこの辺りに……」
母が別邸に置いたままにしてあった衣服や肩掛けを引き出していると、途端にこの行動が現実味を帯びてくる。

アルドナート公爵家は、このティリア王国の始祖から分かたれた血筋だ。
王族同様に扱われ、もうひとつの王家とも言われているが……400年前に凄惨な事件を起こした『血まみれ王妃』を輩出したため、高い継承権を持っていても実際に王位を継ぐことはないとされている。
代々アルドナート公爵家へ忠誠を誓う、オルランディ家。我らは騎士叙勲により爵位を得る、士爵の一族だ。
現当主の父は公爵様の第一の騎士であり、次期当主となる兄と共に今は王宮騎士団へ出仕している。
今の私の立場は、アルドナート公爵家の近衛騎士団長。正妻との御子である嫡男ノエル様と姫様の第一の騎士だ。
いずれは宮仕えから戻ってくる兄が次期公爵ユーリ様の第一の騎士となり、私は兄の下について引き続き公爵家に仕える。
……その頃にはきっと、王太子の元へ嫁いだ姫様はラウルスの王妃となられていることだろう。
(貴族にとって結婚は最重要の義務であり、果たさねばならない役割だ。そこに本人の希望や意志など存在しない)
外れることなど決して許されない、確固たる正しき道筋。
姫様が公爵家のためとなる婚姻をなさることも、私が騎士であることも、この世に生を受けた瞬間から定められている。

主に忠誠を誓い、すべてを懸けて護り、高潔たる剣を振るう。
正義の心を失えば、騎士の剣は穢れる。
(そうなれば、私は――)
もしも『騎士』でなくなったら、いったい私は何者なのだろう。何も残らない、空っぽの男なのではないか。

「……馬鹿馬鹿しい」
答えの出ない思考の渦を強引に断ち切り、強く頭を振る。
考えても仕様がないことで思い悩む暇など、私には残されていない。
(こんなこと、ただの自己満足でしかない)
仮面舞踏会、そして姫様の婚姻を控えて息つく間もないほど忙しい今、こんな所まで来て……迷いを形にして、夢想しているようなものだ。
「そう、ただの夢だ」
まるで幼い頃に姫様に付き合わされたままごとのようだと思うと、いっそう馬鹿らしくなって笑いが漏れる。
幼なじみとしてお側にいた頃、私も姫様もたくさんのごっこ遊びで色々な役割を演じた。
情熱的な騎士と姫君のロマンスはもちろんのこと、庶民的な子だくさんの家族ごっこから竜退治の剣と魔法の物語まで。
姫様はまだお小さくても私はそれなりの年齢だったから少々恥ずかしい思いもあったが、あの頃の私たちは何にでもなれた。
架せられたさだめから逃れることはできないが、夢を見ることだけは自由だった。

(私は……本当に、そうすることを決意できるのか)

幼なじみであった過去、従者であり第一の騎士である現在。
そして――未来。いずれ来る、最後の時。
その瞬間、私は何者であるべきなのだろうか。


【4days ago】END

団員の訓練を終え、汗に濡れたシャツを脱ぎ捨てる。ざっと湯を浴びて汚れを落としたその時、肩口に残る傷にふと目が行った。
「ああ、ほとんど見えないくらい、薄くなったな……」
指先でそっと辿ると、懐かしさがこみ上げてくる。
身体のそこかしこに残る傷痕の中では目立たない小さなものだが、これは私にとって特別な傷だった。


■ ■ ■


私がまだ叙勲を受ける前――騎士学園の初等部から、中等部となる学年へと昇級した頃のこと。
8歳下の姫様はまだあどけなく、見るもの触れるもの全てに興味を示す。
公爵家の姫君らしからぬ、まるで元気な男の子のように好奇心に満ちた、知りたがり。お転婆盛りの彼女にいつも私は振り回されていた。

「ねぇねぇ、クロヴィス! 騎士さまはこうやってたたかうんでしょう?」
「ひ、姫様……! その棒は一体どこから……」
庭師が剪定した後の枝でも拾ってきたのか、公爵家の小さなお姫様は無骨な木の棒を手にご満悦だ。
「そのような物を振り回してはなりません。棘で御手が傷付いたらどうするのですか」
「持ち手にはちゃんと布を巻いてあるもの。だいじょうぶよ」
よく見れば、剣の柄となる部分には最上級のレース生地がぐるぐる巻きにされていて……目眩がしそうになる。
給金の中から細々と少しずつ安いレースの端切れを買っては、ハンカチや身に着ける物に縫いつけて密やかなお洒落を楽しんでいるメイドたちが見れば悲鳴を上げたくなるだろう。

「……とにかく、危険ですからこの棒は没収します」
小さく柔らかな手から枝を取ろうとすると、姫様は不服そうに口を尖らせる。
「でも……私だってつよくなりたいの」
「戦うのは騎士の仕事。姫様が剣を持つ必要などありません」
ぴしゃりと遮ると、姫様は諦めたように掌を開く。
以前から闊達な気質ではあったが、最近はとみにお元気すぎるようだ。
姫君として納めなければならない礼儀作法や教養の授業が退屈で、鬱憤でも溜まっているのだろうか?
だが、学ぶことが好きな姫様は、どんな授業でも熱心に受けていると聞き及んでいる。……何か心境の変化でもあったのだろうか。

「馬に乗るのも危ないからだめ。剣もだめなら、どうやったら私は男の子になれるのかしら」
「……!」
涙を浮かべて漏らされた姫様の言葉に、思わず息を呑む。
(そうか、ノエル様のために……)
先日倒れて寝込まれたノエル様の病状は一進一退で、まだ起き上がることすらできない。
生来の不治の病に加えて体力の衰えもあり、今は峠を越したものの一時は危篤状態にまで陥ったのだ。
病弱なノエル様は、嫡男でありながら公爵家を継ぐことができない。
そのことをとても気に病み、申し訳ないと苦しい息の下で常々嘆いていらした。
そんな兄を見ていて、自分が男子でさえあれば――と姫様がお思いになるのは仕方ないことだろう。

「……姫様、失礼いたします」
ハンカチを取り出してひざまずき、彼女の潤んだ目元にそっと触れる。
嫌がることも照れることもなく、自然と顎を上げる仕草は幼くとも高貴な姫君の気品に満ちていた。
「剣術を習いたいのでしたら、私がお教えいたしましょう」
「ほんと? いいの?」
「ええ。ただし、騎士の剣ではなく護身の剣です。それならば、誰も咎めはいたしません」
「そんなの、ノエルお兄様をお守りできない……」
「いいえ、違います」
視線を合わせて、私は嘘偽りない心で姫様の瞳をしっかりと見つめる。
「男子になどならずとも、姫様はノエル様をお守りできています。あなたがいるから、ノエル様は強くなれるのですよ」
ほろほろと零れる涙の粒を拭いながら、微笑みかける。
「ずっと姫様のお側にいる、このクロヴィスが言うことを信じられませんか?」
「……ううん、信じるわ」
姫様が輝くような笑顔を浮かべたその時――にわかに辺りが騒がしくなり、使用人たちの悲鳴や怒号が聞こえてきた。
「何だ……!?」
姫様をさっと背に庇い、急激に近付いてくる気配に備える。
駆けてくる四つ足の音、荒い息づかい、低いうなり声。その姿を目にする前に、野犬が入り込んだのだと耳と肌で理解した。

「姫様、私から離れないでください!」
「クロヴィス……!!」
現れた黒い影が疾風のように飛びかかってくるのと同時に、私は姫様が持っていた木の枝を拾って野犬の牙を防ぐ。
(何があろうと、姫様に傷ひとつ付けさせるものか……!)
棒を横向きにして暴れ回る口を塞いでいても、鋭い牙が肩を掠めてぱっと血しぶきが飛ぶ。
「――ッ!」
構わず、力を籠めて野犬を引き倒し、地面に押さえ付けた。

凶暴な野犬は駆け付けた使用人たちに捕獲され、敷地の外へ運ばれていく。これでもう安心だろう。
「クロヴィス……っ、だいじょうぶ……? いたい?」
せっかく泣き止まれたというのに、メイドから傷の手当を受ける私を見て姫様はさっきよりもぐずぐずに泣きじゃくっている。
「浅い傷ですから、すぐに治りますよ。どうかご心配なさらず」
「あ、あのね、このお庭には血止めの薬になるお花があるのよ。前にお兄様が言っていたんだけど、ああ……どれだったかしら……」
泣きながらも、姫様はおろおろと周りを見回す。私は怪我をしていない方の腕を上げて、彼女の頭を撫でた。
「ありがとうございます。それでは、次に傷を負った時は姫様に手当をお願いしますね」
「……! ええ! 私、もっと学んでおくわ。……あ、でも、ケガなんてしてほしくはないのだけれど……」
心のまま、素直に表情を変える姫様が可愛らしくて、愛おしくてたまらなくなる。
(愛らしく、美しい姫様。私はあなたが誰よりも清らかで強い心の持ち主だと、知っています)
――私は、あなたの騎士になりたい。
生まれや立場など関係なく、心の底からそう思った。


■ ■ ■


聖騎士の位より、国王から戴いた立派な勲章よりも、私にとっては初めて姫様をお守りしたこの小さな傷が最も誇り高き勲章だ。
(あの頃から、私の心は何ひとつ変わっていないはずなのに……)
どうしてと自問自答を繰り返しても、答えなど出るはずがない。
昔も今も変わらず、私にできることはただひとつだ。
――あなたの騎士として、あなたを守る。
数えきれぬほど重ねてきた誓いを再び胸に刻み、私は身支度を済ませて務めへと戻った。


【3days ago】END

「お帰りなさいませ、ノエル様」
夜も更けた頃、早朝から近隣の貴族たちを訪問して回っていたノエル様が館へお戻りになる。
使用人一同と共にその馬車を出迎えた私は、降りてくるノエル様に手を差し伸べた。
「おつらいようでしたらお運びいたします。どうか、ご無理なさらないでください」
「まったく、僕がいくつになっても君は過保護だね。……ありがとう」
夜露の重みですらうつむいてしまう繊細な花のように、ノエル様のお身体はか細く見える。
ましてや、白皙のお顔に疲労の色が濃く見て取れれば、このままふっと闇の中へ融けてしまうのではないかと思うほど危うかった。

抱え上げられることはやんわりと、しかし頑として辞し、私の手だけを借りてノエル様は自室へと戻られる。
重い上着を脱いで、首元まできっちりと留めたタイを緩めると、ようやくほっとした様子でソファに深く沈み込んだ。
「はぁ……さすがに今日は疲れたよ」
「つい先日も寝込まれたばかりなのに、レオの不始末のせいでこんな――」
苦々しい呟きを漏らした私を柔らかな微笑みで制し、ノエル様は深く息を吐く。
「弟の失敗は兄が償って当然だもの。僕が出向いて頭ひとつ下げれば、皆機嫌良く公爵家へ従ってくれる。このくらい何の苦でもないさ」
ノエル様の代理で出席した会議でレオが出すぎた発言をし、アルドナート領の諸侯たちの反感を買ってしまった。
彼の案自体は画期的で素晴らしいものだったかもしれないが、貴族体制というものはそんなに単純ではない。長く続く歴史の中でどうやっても変えられぬ縛りや軛があるのだと、平民出のレオは理解できていないのだろう。

「僕は大丈夫だから、どうかレオを責めないでやっておくれ。クロヴィス」
「しかし、ノエル様……!」
「レオはね、自身の役割を果たしているだけなんだ。あの子はとてもいい子だよ」
ノエル様は金の髪を揺らし、ふわりと優雅な笑みを浮かべる。
「仮面舞踏会が催されると知ってすぐ、招待状もまだレオの元に届かない内からマダム・フローラが彼の礼服を新しく仕立てただろう? ユーリが生まれてレオが公爵家を継げなくなったから、どこか領地持ちの娘と結婚させて爵位を得させたいとマダムは必死なのさ」
レオの母はやたらと息子を社交界に出したがって、ノエル様の代理でレオが華やかな場に出席する度に無理矢理着飾らせていたが……いわゆる玉の輿狙いというものだったのかと合点がいく。
「可哀想に。社交界なんて窮屈な場所は大嫌いだろうに、レオは誰からも求められる役割を立派に果たしてくれる。まあ、マダムの思惑通りに結婚相手を選ぶつもりはないようだけどね」
小さく苦笑した後ノエル様は長い脚を組み替え、翠の瞳でじっと私を見つめた。
「レオの存在は、アルドナート公爵家にとって必要なものだよ。……何故だかわかるかい、クロヴィス?」
「…………はい」
深い謎かけのような問いに、私はしっかりとうなずく。
……汚いとどれだけ否定したくとも、その答えは私の中にも存在するものだからだ。
「自分より下のものをただ殴れば虐待だが、自分より上のものの失態を正義という名の大義名分で殴れば正しい行いとなる。それが見た目や生まれ育ちなど、本人にどうしようもできないことであればいくらでも殴り続けることができる」
王族にも等しい高みにあるアルドナート公爵家における、唯一の汚点であり瑕疵。
公爵家にわずかながらでも反感を持つ者たちは、『レオ・アルドナート』を蔑むことでアルドナート自体を貶めた気持ちになって溜飲を下げられるのだろう。
「レオは公爵家への負の感情を一手に向けられるための生贄。御しやすい貴族の存在共々、合わせて必要悪だとお考えなのではありませんか」
「……!」
私がそう答えると、ノエル様は少し驚いたように金の睫毛で縁取られた目を丸くする。そして、楽しそうにくすくすと笑い出した。

「……っ、ふふっ、君がそこまで答えてくれるとは思わなかったよ。あははっ」
細い身体を折るようにしてまで笑い声を上げ、ノエル様は笑いすぎて眦に溜まった涙を指で拭う。
「はぁ……いいね。君は僕の予想以上に完璧で、誰よりも美しい騎士だ。素晴らしいよ、クロヴィス」
「……おそれいります」
何故そこまでノエル様がお喜びなのかわからないが、お褒めに与ったのなら光栄と思うべきだろう。……だが、この時何かが私の心に引っ掛かった。

「アルドナート家に敵対する貴族の中で、レオを利用して公爵家を乗っ取ろうと考えている者がいるかもしれない」
「はい。現状、有り得ぬ話ではないと思います」
アルドナート家の男子は幼いユーリ様と病弱なノエル様。若く、強いレオを立てて簒奪を狙う一派がいてもおかしくないことだ。
「弟が裏切るはずないと信じているけれど、長年負の感情を向けられ続けて不満や鬱屈が溜まっているかもしれない」
切なげに眉が寄せられ、ノエル様の表情が哀しみに陰る。
「人の心なんて簡単にうつろうものだから、弱い部分をつかれれば何が起こるかわからないからね。警戒は怠らないでおくれ」
「はっ、かしこまりました」
ひざまずいて礼を取る私の肩に手を置き、ノエル様は優美な響きで語り出す。

「今は辛いだろうけど、僕がこの世界を変えるまでレオはきっと耐えてくれる。クロヴィスも共に来てくれるよね」
「ノエル様……?」
「僕の挑む道はとても難しく、困難を極めるだろう。ただひとつでも歯車が狂えば、弱い僕は簡単に負けてしまうもの」
顔を上げると、深い慈愛に満ちた微笑みが私を包む。
「必要悪なんて存在しない、美しい世界となるように……僕はこの命と、僕という存在すべてを懸けて戦うつもりだよ」
「……っ、ご立派でございます」
息を呑むほどに美しく、神々しいまでに高貴な気品に圧倒される。
この輝きこそが、我が主――姫様の兄であるノエル・アルドナートだ。なんと美しい兄妹であられることかと幾たびも感嘆し、お仕えできることが心から誇らしい。

「妹がラウルス王太子へ嫁ぐことで、アルドナート公爵家はかつての隆盛を取り戻す。『血まみれ王妃』の醜聞で腫れ物扱いされてきた長い年月は終わりを告げるだろう」
でも、とノエル様は声を固くする。
「それを良しとしない貴族がいるのは確かだ。父上は自分が暗殺されるのではと日々怯えていらっしゃるし、妹を害してこの婚姻自体を妨害することだって有り得る」
「そのようなこと、アルドナートに忠誠を誓う我がオルランディの名に懸けて絶対に許しません」
強くそう言うと、ノエル様は静かにうなずいてくださる。
「頼りにしているよ、クロヴィス。どうか、妹を守っておくれ」
「この命にかえても、必ず――!」
嘘偽りない誓いを言葉にし、唇を噛み締める。
(姫様をお守りする。私の存在理由は、ただひとつだ)
激しく揺れる心の奥を彼の美しい瞳に見透かされぬよう、私は忠実な騎士の仮面を固く被り続けた。


【2days ago】END

「さあ、クロヴィス。こちらに座っておくれ」
「申し訳ございません。私は遠慮させていただきます」
首を横に振ってから一礼する。ノエル様から一緒にお茶をと庭園に呼び出されたが、同席するつもりはなくお断りするつもりだった。
「どうしてもと固辞するなら、僕は主として命令しなくちゃならなくなるけれど……そうはしたくないんだよ。君がいくら多忙とはいえ、お茶の一杯くらい付き合う暇はあるだろう? ね?」
「……かしこまりました。お言葉に甘えて失礼します」
優しい声。見惚れるほどに美しい笑み。ノエル様は微塵も私を咎めてはいないのに、この眼差しひとつで身がすくむ。
近衛騎士団長という立場であれば主と同じテーブルに着く機会も多いし、元は幼なじみとしてお側にいたのだからさほど恐縮する必要はない。
だが、こんなふうに忠義心とは別の部分で頭を垂れずにはいられなかった。

「実はね、君に頼みがあるんだ」
「頼み、ですか? 何でしょう」
命令ではなく頼み事だよと、ノエル様は香り高い紅茶で喉を潤してからくすっと笑う。
「明日の仮面舞踏会なんだけど、父上は控えの間から見守ると仰っているんだ」
「では、護衛を騎士団の中から――」
「ううん、必要ないよ。レオを呼んでいるそうだから」
私の表情が微妙に変わったことを察し、ノエル様が苦笑する。
「表立って出席するよりはその方がレオも気が楽だろうし、父上の護衛も務めてくれる。あの部屋は限られた者しか鍵を持っていないし、有事の際の避難場でもあるからちょうどいいと思うんだ」
確かに、ノエル様の仰る通り控えの間にいれば安全だろう。公爵様が暗殺に怯えていらっしゃるのなら、その選択は正しいといえる。
「護衛が必要ないのでしたら、頼み事とは……?」
「ふふっ、せっかくの父子の場だもの。二人が大切な妹を祝ってくれるのなら、とっておきのワインを用意してあげようと思ってね。今朝、セラーの奥から最高の物を選んできたんだ」
ノエル様がお選びになったワインは今、一日置いて澱を沈めるためにお部屋で適切に保管されているという。
「アルドナートの紋章が入った特別な物だから、信頼できる人に任せたい。明日、君が控えの間に持っていってくれるかな」
「はい。私でよろしければ、承ります」
「ありがとう。頼りにしているよ、クロヴィス。それから……これを飲んでおいてね」
ノエル様は懐から薬瓶を取り出し、私の前に置く。その瓶は見慣れた物で、私も毎日服用している流感の予防薬だ。
「私に配布されている分は、欠かさず摂っておりますが……?」
「追加だよ。君は身体が大きいからね、計算すると少し強めの物を摂取しておいた方がいいとわかったんだ」
予防薬を飲んでいる使用人の中でも少ないとはいえ罹患する者はいたから、姫様の近くに控えることが多い私は念には念を入れてということだろう。礼を述べて受け取る間に、ノエル様はもう一人分のお茶を淹れるようメイドに申しつけた。
「息を切らせてやってくるから、最高に美味しいお茶を淹れてあげて」
「……?」
内心で首を傾げていると、さくりと軽く芝を踏む足音が近付いてきた。

「お兄様、遅くなってごめんなさい」
「構わないよ。こういう時、美しい主役は遅れて登場するものだからね」
「明日の用意がなかなか終わらなくて……少しだけ、休憩で抜けさせてもらってきたの」
できる限り急いでやって来たのか、私の向かいの席に着いた姫様の呼吸は微かに弾んでいて、頬を薔薇色に上気させている。
「陽射しはうららかで、爽やかな風が心地良い。幼なじみ三人で素敵なティータイムを……と思ったんだけれど、急ぎの書状が届いたようだから僕は失礼させてもらうよ」
優雅な仕草で立ち上がり、ノエル様は悪戯っぽく片目を瞑る。
「娘でいられる最後の思い出に、明日の仮面舞踏会だけでは足りないだろう? 初恋の人とお茶を飲む時間も必要かと思ってね」
「……! もう、お兄様ったら!」
冗談めかした言葉を残し、ノエル様は屋敷へと戻っていく。後に残された私たちは、微妙な顔でカップに口を付けた。
「クロヴィス……お兄様がからかうようなことを言ってごめんなさい。気を悪くしないでね」
「いえ、姫様こそどうぞお気になさらず。私は何とも思っておりませんので」
「……そうね。私があなたに拙い恋文を書いたのは、道理も何もわかっていない小さな頃の話だもの」
ふふっと淡く微笑み、姫様は懐かしそうに庭園を見渡す。
「あの頃は……単なる憧れではなく本気の恋だと信じていて必死だったから、クロヴィスがまともに取り合ってくれなくて怒ったり拗ねたり大変だったわね」
「……幼い子どものなさることですから。恋に恋する年頃にはよくあることですし、微笑ましく思っておりましたよ」
穏やかな風が吹き、私たちの髪を優しく撫でるように揺らす。
「私ね、あなたに恋心を否定されてすごく悲しかったけれど、今ならあなたの方が正しかったとわかるの。……困らせて、本当にごめんなさい」
「今、姫様が謝る必要などございません。……昔の、話です」
「ええ、昔の話だわ……」
世界の誰よりも大切な、八歳下の幼なじみであり我が主。
私は、彼女が幼い頃からずっとお側で見守ってきた。
(だけど、姫様はここから巣立っていかれる)
あどけない娘から一人の立派な女性として、伴侶と共に新たな人生を歩んでいくのだ。

「クロヴィス――」
「……!?」
立ち上がった姫様はドレスの裾を両手で広げ、軽く膝を曲げて私にお辞儀する。
主がこのように、席に着いている臣下へ礼を取るなどあってはならぬことだ。私も慌てて立ち上がり、彼女の前まで歩み寄って制した。
「姫様、おやめください。そのようなことをしてはなりません」
「最後だもの、いいじゃない」
しとやかな姫君ではなく小さい頃のように、彼女はどこか泣き出しそうな表情で微笑んだ。
「長い間、仕えてくれてありがとう。心から感謝しているわ」
「……っ、もったいないお言葉です」
私にだけ向けられる優しい笑みに、胸がぐっと詰まる。冷静であろうと努めても、無様に声が震えてしまったかもしれない。
「私はラウルスへ嫁いで行くけれど、ノエルお兄様とお父様とユーリと……アルドナート家にいる皆を守ってね」
「はい」
私は彼女の前にひざまずき、深く敬意を表する。

「お側でお守りすることは適わずとも、私はずっとあなたの騎士です。どんなに遠く離れても、この心はいつも共に――」
「クロヴィス……あなたが、私の騎士でいてくれてよかったわ」
ありがとう、と潤んだ声が耳に届き、胸の奥が熱く震えるのがわかる。

(正しき騎士であれ。純然たる善で理想を体現し、歪みなき正義を貫け)

私は、あなたの騎士。
我が誇り、我が命、我が輝き。私のすべてはあなたのものだ。

(私は、あなたを絶対に守ると誓う――)


【1days ago】END

ノエル様のお部屋に伺うと、まだ舞踏会の時間にはかなり早いというのにすっかりお支度ができ上がっていた。
「ノエル様、お運びするワインを受け取りに参りました」
「ああ、ご苦労様。換えのない大切な物だから、気を付けて持っていっておくれ」
アルドナートの紋章が刻まれたラベルは長い年を経た熟成の重みで古び、これがどんなに価値のある一瓶か見ただけでも伝わってくる。
「あの様子だとデキャンタージュは父上が自らなさるだろうし、テーブルに置いておくだけでいいよ」
「はい、かしこまりました」
「今度レオにもワインの扱い方を教えてあげないとね。ふふっ、僕たちが皆幸せになれる美しい世界が訪れる時が来たら、揃って祝杯を上げよう」
ご機嫌な様子で仮面を着けてみせ、ノエル様は鏡の前から私の方へと振り返った。

「君はずっとその格好なのかい? クロヴィスも礼服を着て、会場で僕たちに付き従えばいいのに。せっかくの仮面舞踏会なのだから、今宵の主役である姫君と一曲くらい踊ってあげなよ」
「……いいえ。主の飾り物として華やかな席に出るよりも、外敵から公爵家をお守りすることが第一です」
私は主に表門に立ち、そこから全体の警備指揮を執る。
近衛騎士団長ならばノエル様の仰る通り、第一の騎士として姫様と彼のお側にいることが当然なのだが……今夜だけはそうしたくなかった。

「まあ、クロヴィスが門で全ての来賓をチェックしてくれるのなら、これ以上安心できることはないからね。君がいなくて妹は少し寂しく思うだろうけど、仕方ないか」
同伴を強要することはなく、ノエル様はすぐに納得してくださる。
ティリア王国とラウルスを繋ぎ、二国の歴史が変わる重要な婚姻。公爵家の立場を大きく変える姫様のご結婚に関して、如何なる陰謀が企てられるかわからない。
普通の社交の場ならともかく、今宵は様々な貴族たちの思惑が複雑に絡まる一夜となるだろう。

「つ……ッ」
ちくりと刺すように頭が痛み、視界が歪んで揺れる。
(なんだ……?)
これまで感じたことのない不可思議な不快感に思わず眉を顰めるが、ほんの一瞬で治まったから気にするほどのものではない。
多忙で溜まった疲労と思い悩み続ける心労を考えれば、頭痛くらいあって当たり前だろう。
「クロヴィス? どうかしたのかい?」
「いえ、何でもございません」
わずかの間のことだから隠し通せたかと思ったが、ノエル様は目ざとく私の様子に気付いた。
「少し診てあげよう。さあ、手を出して」
「大丈夫です。ノエル様のお手を煩わせるほどのことでは……」
「遠慮なんてしないで。君はあの子を守る大切な騎士なのだから、兄の僕から心配くらいさせておくれ」
幼い頃からずっと病と闘ってこられたノエル様は、己の経験から医術の知識に長けていらっしゃる。
とても優しい声でそう仰ると、私の手首を取って脈を測り始めた。
「熱も目の濁りもないから、身体の不調ではなさそうだね。ああ……でも、少し脈が速いか。何か気がかりなことでもあって、緊張しているのかな」
「…………」
動揺を表に出さぬよう、氷の騎士団長と呼ばれる異名のままに表情を引き締める。
この惑いを、揺れ動く心を、決して悟られてはならない。

「ふふっ、そうは言ってもこんな大がかりな催しで緊張しない方がおかしいか。僕だって、朝からずっと緊張し通しだもの」
ノエル様は静かに私から離れ、机の抽斗から宝石箱のように見事な細工が入った薬箱を持ってくる。
その中から、蝋引きした紙に包まれている小さな錠剤を私に手渡した。
「頭痛薬だよ。液体と違って即効性には劣るけれど、その分長く効くからね。今飲んでおけば、ゆっくりと効果が続いて舞踏会が始まる頃には最も効き目が出ているはずだよ」
「……ありがとうございます」
水の入ったグラスまで差し出されては、受け取らないわけにはいかない。
主からの温かい心遣いに感謝して、私は錠剤を飲み下した。

「それでは、私は控えの間にこれをお届けしてから配置につきます。何かございましたらすぐに駆け付けますので、お呼びください」
「ありがとう。よろしく頼むよ」
「失礼いたします」
「うん。――また、後で会おうね。クロヴィス」
ひらりと手を振るノエル様のお顔は、瀟洒なデザインの仮面に隠されてよく見えない。
(私は今も、騎士の仮面をちゃんと被れているだろうか……?)
不安を噛み殺して一礼し、鎮めた澱を乱さぬよう慎重に瓶を持って部屋を辞した。


控えの間へワインを届け、テーブルをセットしてから、しっかりと施錠する。
舞踏会の会場となるサロンを見下ろせる小窓から姫様を見守り、公爵様とレオは嫁いでいく彼女の幸福を祈って杯を傾けるのであろう。
姫様は、公爵家の姫君という立派な役割を果たす。
……この世に生を受けた瞬間から終わりの時が来るその瞬間まで、完璧な姫君で在り続けるのだ。

(姫様……あなたは、本当に幸せですか)

足早に裏庭を通り、死角となる場所で備えを調える。
(これは己の役割に反する無為な行動だ。ただの無駄になるだけだとわかっているが……それでいい)
夜の帳が降りれば、煌びやかな衣装を身に纏い、仮面を着けた男女がこの館に集ってくる。
誰も、本心など見えやしない。
氷の仮面の下にある私の心も、誰も知らない――。

掌に爪が食い込むほどに拳を強く握り締め、私はアルドナート公爵家の近衛騎士団長として門へ向かう。
光なき暗闇の中でも、狂おしく激しい嵐の中でも、あなたの騎士で在り続けるために。


【on that day】END