電脳筆写『 心超臨界 』

偶然は用意の出来ている人間しか助けない
( ルイ・パスツール )

南京大虐殺という嘘 《 日本人みずからが言い出した南京大虐殺——倉山満 》

2024-03-31 | 04-歴史・文化・社会
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■超拡散『南京問題終結宣言がYouTubeより削除されました』
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尖閣と南京事件が話題になるのは、この交渉の直前です。「尖閣諸島は日清戦争で日本が奪ったのであって、中国のものだ。日本は日中戦争の際に南京大虐殺をやって、多くの民間人を殺したのだ」と中国側が言い出しました。尖閣諸島は日清戦争と関係なく日本の領土でしたし、南京大虐殺など東京裁判になってから持ち出された代物です。被害者数が最初は20万人だったのが、30万人に増えました。広島・長崎の原爆の被害者数が20万人と思っていたら30万人だったので、それに合わせて南京大虐殺の被害者も増やした、というお粗末極まりないプロパガンダです。


◆日本人みずからが言い出した南京大虐殺

『プロパガンダで読み解く日本の真実』
( 倉山満、ワニブックス (2019/3/22)、p142 )

昭和47(1972)年、田中角栄はそれまでの友好国の台湾(中華民国)を切り捨て、大陸(中華人民共和国)と結びました。その時の日中共同声明は、前文と本文9項目からなりますが、前文に「日本側は、過去において日本国が戦争を通じて中国国民に重大な損害を与えたことについての責任を痛感し、深く反省する」と明記されています。

中国側の時の首席・毛沢東も、国務院総理・周恩来も、交渉の駆け引きとして歴史問題をジャブのつもりで繰り出しただけでした。ところが、ストレートのごとく日本が食らってくれた。ラッキーパンチと思ったでしょう。

日本の外務大臣は大平正芳でしたが、中国側と田中・大平が交渉でもめることはほとんどありませんでした。ひとり、高島益郎という外務省の条約局長が「日台条約は不法だ」と言いだす中国側に文句をつけましたが、大平が押さえつけました。台湾とは吉田茂の時に「日華平和条約」を結び、20年来の友好国でした。ところが大平は、大陸と結ぶにあたり、一片の外務大臣談話で条約の破棄を一方的に宣言します。

尖閣と南京事件が話題になるのは、この交渉の直前です。「尖閣諸島は日清戦争で日本が奪ったのであって、中国のものだ。日本は日中戦争の際に南京大虐殺をやって、多くの民間人を殺したのだ」と中国側が言い出しました。

尖閣諸島は日清戦争と関係なく日本の領土でしたし、南京大虐殺など東京裁判になってから持ち出された代物です。被害者数が最初は20万人だったのが、30万人に増えました。広島・長崎の原爆の被害者数が20万人と思っていたら30万人だったので、それに合わせて南京大虐殺の被害者も増やした、というお粗末極まりないプロパガンダです。

ところが、何としても「中国との国交回復」をやり遂げたいと前のめりになった田中・大平は、周恩来が言い出した話を全部丸呑みします。

それに輪をかけたのが日本のマスコミです。先陣を切ったのが、朝日新聞記者の本多勝一でした。

本多勝一が朝日新聞に「中国の旅」の連載を開始したのは日中共同声明の前年、昭和46(1971)年です。「中国の旅」で本多は、南京大虐殺を大きく取り上げました。中国側は「これは外交の道具に使えるかもしれない」と考えるようになりました。

とは言うものの、最初は日本に台湾を切り捨てさせ、自分たちの味方につけなければなりません。実は当時は「このタイミングで日本ともめそうな話を持ち出して大丈夫か?」と、中国の方がおっかなびっくりでした。外交常識です。

ところが、日本のマスコミは「中国に謝罪しよう」の一辺倒。これに、田中角栄は「どういう表現の謝罪なら中国は納得するか」と模索する始末。

田中がスピーチで「迷惑をおかけしました」と言ったら、周恩来が「それは町で水たまりを踏んで水をかけた時の表現だ」などと言い出します。周恩来は日本語ができるので田中の発言のニュアンスはわかっていました。ここで押せばもっと引くだろうと駆け引きをしていたのです。結果、田中は平謝りでした。それを毛沢東がとりなす……。

子供扱いでした。

マスコミが何を言おうが政権与党がちゃんとしている、という吉田茂以来の図式がこの時以来、崩れ去ってしまいました。

田中角栄の大罪です。
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