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突破者 上: 戦後史の陰を駆け抜けた50年 (幻冬舎アウトロー文庫 O 30-1) 文庫 – 1998/12/1
宮崎 学
(著)
ヤクザの組長の息子として生まれ、学生運動に身を投じ、雑誌記者を経て全国指名手配。グリコ・森永事件で犯人「キツネ目の男」に擬された男のベストセラー自伝。
- 本の長さ347ページ
- 言語日本語
- 出版社幻冬舎
- 発売日1998/12/1
- ISBN-104877286799
- ISBN-13978-4877286798
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登録情報
- 出版社 : 幻冬舎 (1998/12/1)
- 発売日 : 1998/12/1
- 言語 : 日本語
- 文庫 : 347ページ
- ISBN-10 : 4877286799
- ISBN-13 : 978-4877286798
- Amazon 売れ筋ランキング: - 63,935位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- - 14位犯罪者関連
- - 15位幻冬舎アウトロー文庫
- - 24位事件一般関連書籍
- カスタマーレビュー:
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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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2011年7月16日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
寺山修司が人間誰しもやくざ的なものに対するあこがれがあるなんていっていたがその通り。
「突破」をはじめ、アウトローな言葉遣いはまさに中二心くすぐられる。
「男には結局、土壇場でとどまるやつと逃げるやつの二種類しかいない」
なんていうのもまさに至言。
体はって、ぴりぴりする局面をわたってきたからこその説得力。
ノンフィクションの迫力。
やくざを巡る、暴力的な問題や、そうした生き方を選ばざるを得ないような状況に追い込まれる人々、社会的な問題。
寺山修司がいうのは、そういうのはおいといての、男としての生きざまとしてのやくざ性である。
この本読んで得られるのはそういう人生のレッスン。
まあ単純にいろんなエピソードがかっこ良くおもろいのだが。
社会的な話に視点変えると、やくざというものが、様々な差別とかと絡み合った問題だと初めて知った。
いろんな人々がそれぞれの状況の中で懸命に生きてる。
一ついえることは、この宮崎さんみたいに、自分たちの属していたような社会のことを、このような立派な本の形に、言語化できる人というのは、その社会にとって非常に貴重だということ。
私ももっともっと勉強しないとにゃあ。
「突破」をはじめ、アウトローな言葉遣いはまさに中二心くすぐられる。
「男には結局、土壇場でとどまるやつと逃げるやつの二種類しかいない」
なんていうのもまさに至言。
体はって、ぴりぴりする局面をわたってきたからこその説得力。
ノンフィクションの迫力。
やくざを巡る、暴力的な問題や、そうした生き方を選ばざるを得ないような状況に追い込まれる人々、社会的な問題。
寺山修司がいうのは、そういうのはおいといての、男としての生きざまとしてのやくざ性である。
この本読んで得られるのはそういう人生のレッスン。
まあ単純にいろんなエピソードがかっこ良くおもろいのだが。
社会的な話に視点変えると、やくざというものが、様々な差別とかと絡み合った問題だと初めて知った。
いろんな人々がそれぞれの状況の中で懸命に生きてる。
一ついえることは、この宮崎さんみたいに、自分たちの属していたような社会のことを、このような立派な本の形に、言語化できる人というのは、その社会にとって非常に貴重だということ。
私ももっともっと勉強しないとにゃあ。
2014年4月9日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
すごくよかった。宮崎さんのように自分に素直な生き方はかっこいいと思います。宮崎学先生は平成の万年東一さんみたいな生き方と思った、保存版で同じのを今度買います。
2013年6月22日に日本でレビュー済み
まずはタイトルにある『突破者』とは何か? 著書によれば、「無茶者、突っ張り者のこと」であるそうな。
私は関西出身ではないため知らなかったのだが、土建業の親方に多いタイプらしく、「思い込んだら一途でがむしゃら」に突っ張って職人を守る(喧嘩などいざこざがあった時など)・・・みたいな人を『突破者』と言って持ち上げるらしい。
正に、そういう意味では著者の宮崎学は突破者にふさわしく、京都は伏見区の解体屋寺村組の次男坊として生まれた。
この上下2巻に渡る宮崎学の自伝によれば、戦後の裏社会を駆け抜けて来た男の度胸みたいなものが、そこかしこからプンプン臭って来る。
たとえそれがヤクザという、社会から大きく逸脱した集団であろうとも、その中にあってこそのやり方で筋を通し、ブレずにやって来たという誇りさえ感じる。
教養や知識などさほどなく、社会の底辺を生きるという括りでヤクザを描いているが、少なくとも宮崎学とその兄は、決して無学・無教養ではない。兄は立命館大学を中退、宮崎学その人は早稲田大学を中退で、卒業こそしていないが、学力レベルは人並み以上のものを持ち合わせている。
だからこそ、この自伝のような読み応えのある半生を、淀みなく綴る能力が備わっていたのだと言えよう。無論、宮崎学の過去がどうあれ、今やれっきとした文化人である。
内容は、幼い頃の身辺環境から中学校では喧嘩に明け暮れた毎日のこと。さらに、京大を目指したものの不合格となり、縁があって早大法学部に入学。そこでは左翼思想に目覚め、共産党の青年ゲバルト部隊を率いて大活躍したことなどが赤裸々に語られている。
興味深かったのは、グリコ・森永事件で犯人の似顔絵が公開されたのだが、そのキツネ目の男が宮崎学にそっくりで、「重要参考人・M」とされていたことの顛末が詳細に書かれていた。これは面白い。
この事件当時、私はまだ小学生だったが、テレビの報道を見ては両親がああでもないこうでもないと、話題に事欠かなかったのが印象的だ。
我々一般市民にとっては、裏社会のことなどあれこれ想像をめぐらすのが精一杯で、実際のところは何も分からない。
そんな中、こうしてヤクザの世界の一端なりとも、その道にどっぷりと浸かっていた人物が披露してくれたことは本当に嬉しいし、有難い。
高倉健や菅原文太の出演する任侠の世界が全てだと思い込んでいるわけではないけれど、もっとエグイ、グロテスクなものを内包して存在するのを、改めて思い知らされる機会を与えられた。
ヤクザという、いわば社会のうしろめたい側にいる集団が、なぜ存在するのかというところにメスを入れている点を、大いに評価したい。また、中学生の学級会みたいな潔癖な正論が、マスメディアを経由して一気に世論と化す現代社会に警鐘を鳴らしているようにも思えた。
多数派こそが正義であり、少数派は全て切り捨てられていく現実・・・それは対ヤクザ社会に限ったことではないことを痛感する。
私は思う。
男女問わず、綺麗に脱毛し、デオドラント効果バツグンの制汗剤を振り撒き、情報に遅れを取らないようスマホを駆使する合理的な人々が、当然の多数派となっている。
私はほんの数年前までケータイなど持っていなかった。だが持つことにした。
友人の中には、いまだ持っていない少数派に属する人もいる。私はその友人を奇異には思わない。
こういう少数派が存在するからこそ、民主主義を謳歌できるのだ。
『突破者』は、様々な主義、思想、いやもっと漠然とした何かを持つ人々が右往左往しながら必死に生き抜いた、戦後の50年を描いている。
それはもう目からウロコの、仰天自叙伝である。おすすめの傑作だ。
私は関西出身ではないため知らなかったのだが、土建業の親方に多いタイプらしく、「思い込んだら一途でがむしゃら」に突っ張って職人を守る(喧嘩などいざこざがあった時など)・・・みたいな人を『突破者』と言って持ち上げるらしい。
正に、そういう意味では著者の宮崎学は突破者にふさわしく、京都は伏見区の解体屋寺村組の次男坊として生まれた。
この上下2巻に渡る宮崎学の自伝によれば、戦後の裏社会を駆け抜けて来た男の度胸みたいなものが、そこかしこからプンプン臭って来る。
たとえそれがヤクザという、社会から大きく逸脱した集団であろうとも、その中にあってこそのやり方で筋を通し、ブレずにやって来たという誇りさえ感じる。
教養や知識などさほどなく、社会の底辺を生きるという括りでヤクザを描いているが、少なくとも宮崎学とその兄は、決して無学・無教養ではない。兄は立命館大学を中退、宮崎学その人は早稲田大学を中退で、卒業こそしていないが、学力レベルは人並み以上のものを持ち合わせている。
だからこそ、この自伝のような読み応えのある半生を、淀みなく綴る能力が備わっていたのだと言えよう。無論、宮崎学の過去がどうあれ、今やれっきとした文化人である。
内容は、幼い頃の身辺環境から中学校では喧嘩に明け暮れた毎日のこと。さらに、京大を目指したものの不合格となり、縁があって早大法学部に入学。そこでは左翼思想に目覚め、共産党の青年ゲバルト部隊を率いて大活躍したことなどが赤裸々に語られている。
興味深かったのは、グリコ・森永事件で犯人の似顔絵が公開されたのだが、そのキツネ目の男が宮崎学にそっくりで、「重要参考人・M」とされていたことの顛末が詳細に書かれていた。これは面白い。
この事件当時、私はまだ小学生だったが、テレビの報道を見ては両親がああでもないこうでもないと、話題に事欠かなかったのが印象的だ。
我々一般市民にとっては、裏社会のことなどあれこれ想像をめぐらすのが精一杯で、実際のところは何も分からない。
そんな中、こうしてヤクザの世界の一端なりとも、その道にどっぷりと浸かっていた人物が披露してくれたことは本当に嬉しいし、有難い。
高倉健や菅原文太の出演する任侠の世界が全てだと思い込んでいるわけではないけれど、もっとエグイ、グロテスクなものを内包して存在するのを、改めて思い知らされる機会を与えられた。
ヤクザという、いわば社会のうしろめたい側にいる集団が、なぜ存在するのかというところにメスを入れている点を、大いに評価したい。また、中学生の学級会みたいな潔癖な正論が、マスメディアを経由して一気に世論と化す現代社会に警鐘を鳴らしているようにも思えた。
多数派こそが正義であり、少数派は全て切り捨てられていく現実・・・それは対ヤクザ社会に限ったことではないことを痛感する。
私は思う。
男女問わず、綺麗に脱毛し、デオドラント効果バツグンの制汗剤を振り撒き、情報に遅れを取らないようスマホを駆使する合理的な人々が、当然の多数派となっている。
私はほんの数年前までケータイなど持っていなかった。だが持つことにした。
友人の中には、いまだ持っていない少数派に属する人もいる。私はその友人を奇異には思わない。
こういう少数派が存在するからこそ、民主主義を謳歌できるのだ。
『突破者』は、様々な主義、思想、いやもっと漠然とした何かを持つ人々が右往左往しながら必死に生き抜いた、戦後の50年を描いている。
それはもう目からウロコの、仰天自叙伝である。おすすめの傑作だ。
2018年2月26日に日本でレビュー済み
著者は日本共産党系列の民青派全学連に属して非共産党系の全共闘と壮絶な内ゲバを行う。 東大紛争では秘密ゲバルト部隊を率いて全学ストライキを狙う全共闘と戦う。 安田砦の攻防戦では革マルは逃げて中核派との間に亀裂が入る。 その後この恨みで双方合わせて30数人の死者が出たという。 非共産党系の全学連は4分5裂して衰退していったが彼のゲバルト部隊も激しい暴力で共産党を排除された。 民青派の全学連を日本共産党が握り指令を出して掌握していたことは驚きである。 また共産党も宮本派と野坂派に分かれて抗争していたのも驚きである。 学園紛争に既成政党が介入するのは自治権の侵害ではないか。 しかも共産党細胞を設置するのも違法である。 著者は学生の身分でありながら車を持ち愛人と同棲して無料で肉食の提供を受けている。 これで被差別階級の出身といえるのか。 貧しい学生はプロレタリアートの共産革命デモにはアルバイトに忙しくて参加出きなかった。 金持ちのブルジョアジー階級のみがプロレタリアート革命を唱えられたのである。 この矛盾をどのように説明するか。 東京への出発時に父親から50万円(今日の500万円)もらっている。 ヤクザとは被差別階級のブルジョアジーである。
2015年2月14日に日本でレビュー済み
著者は昭和20年京都のヤクザの組長のボンとして生まれたわけですが、幼少のときに見たヤクザの周辺の光景がすさまじいです。犬獲りの家が数軒あり、子供を含む家族全員が悪臭の中で血まみれになって犬を捌いていたという話には衝撃を受けました。私の地方では差別部落の痕跡とかほとんどないので、京都には戦後にもそんな差別が残っていたとは思わず、伝統を重んじる古都にこびりついた暗黒面に震撼しました。
差別だらけの世の中を革命でひっくり返してやろうと、日本共産党に入った著者が学生運動で行ったゲバルト武勇伝が詳細に語られていますが、こちらはいただけません。新左翼との主導権争いなどという戦争をゲバ棒、角材、鉄パイプ、果ては火炎瓶まで持って壮絶に行うわけですが、戦争自体が目的になっていて、ヤクザの戦争より意味がないように思います。著者はいまだにそのことを誇っているようですが、当時の仲間はあまり思い出したかがらないそうです。ヤクザならいざ知らず、将来有望なたくさんの若者が無意味な戦争で命を落としたり、大けがをしたわけですから当然でしょう。
差別だらけの世の中を革命でひっくり返してやろうと、日本共産党に入った著者が学生運動で行ったゲバルト武勇伝が詳細に語られていますが、こちらはいただけません。新左翼との主導権争いなどという戦争をゲバ棒、角材、鉄パイプ、果ては火炎瓶まで持って壮絶に行うわけですが、戦争自体が目的になっていて、ヤクザの戦争より意味がないように思います。著者はいまだにそのことを誇っているようですが、当時の仲間はあまり思い出したかがらないそうです。ヤクザならいざ知らず、将来有望なたくさんの若者が無意味な戦争で命を落としたり、大けがをしたわけですから当然でしょう。
2002年9月21日に日本でレビュー済み
不思議な説得力、爽快感が残る物語である。こういった人物がいたこと自体が非常に驚きであり、この本が多くの人に受けたのは、多くの人が、こうありたい、こういうまっしぐらに生きたい、といった憧憬があったのではないか。それにしても、おもしろい。たちまち宮崎学の大ファンになりました。
2007年1月21日に日本でレビュー済み
左翼 右翼 被差別 同和 暴力団 在日 学生運動 政治 古代からの歴史 女性と男性の強さと 弱さ そして著者の悪く強がって見せている部分とかね