真実一路くんのひとり言

だれがやっても同じやとあきらめず、一歩ずつ
長いものには巻かれず、真実を大切にして。

戦争だけは、一番になくしてほしいー森光子さん

2009-04-26 | Weblog

 なんともすごい人だ。5月9日に89歳の誕生日、その日に前人未踏の「放浪記」2000回公演です。どうしてここまで続けられたのでしょう。公演ごとに台本を読み直し、台詞を覚え直すという。試行錯誤で「毎回が、発見の連続です」といいます。

 そして、持ち前の明るさ。戦時中、禁じられていたアメリカの「風とともに去りぬ」を、新聞紙と包装紙で幾重にもカバーしてこっそり読んだときのこと、「明日はまた明日の風が吹くのだ」という言葉に出会い、どんなに楽になれたことか。「一つ乗り越えりゃ、次もいけるかもって思えるんです」という。

そんな森光子さんに「しんぶん赤旗」日曜版記者がインタビュー(09年4月26日号掲載)です。要約を紹介しましょう。

 「戦争だけは、いちばんになくしてほしい。なんにもなくてもいいから。平和な国であるだけで、それだけでいいんです」
 しみじみと語る言葉が胸に響きます。
 森さんは、日本が侵略戦争を始めていた1935年に時代劇映画の娘役としてデビュー。しかし、「世は軍国調、浮ついた感じのするものは目の敵にされました」
 警察で取り調べを受けてこともあります。なんと、「売春容疑」です。もちろん、身に覚えのないことですが、芸能人の一人として“見せしめ”の対象にされたのです。〈中略〉

 太平洋戦争が始まると、戦地慰問団の一員として、旧満州(中国東北部)、シンガポールなどを巡業しました。南方戦線では、同じ船団の1隻が魚雷で撃沈されました。一瞬の違いで爆撃を逃れ、命拾いしたこともあります。1944年、肺結核を患い帰国します。

 「私の人生は、けっして幸せとは言えません」と語る森さん。でもー。「なにかやっぱり、ほめてあげたいですね。ここまで元気を保ってきただけでもね。結核も3回やったんですから。ほんとうに、丈夫だなと思います(笑い)」〈中略〉

 「放浪記」の初演は1961年。森さんが初めてつかんだ主役、41歳の時です。
 「こんなに長くできるできるなんて思ってもみませんでした。舞台が終わっていく回数をみていて、『よくやれているなぁ』と自分で感心しています」〈中略〉

 劇中、小説の「放浪記」に書かれた芙美子の言葉が朗読されます。心に染みる場面です。
 「金だ金だ金が必要なのだ!金は天下のまわりものだって言うけど、私は働いても働いてもまわってこない。…私が働いている金はどこへ逃げていくのだろう」
 戦後、流行作家として活躍する芙美子。執筆に疲れて机で寝入ってしまった姿をみて、ライバルの日夏京子が「あんた、ちっとも幸せじゃないんだね」と声をかける場面があります。
 このラストシーンが「大好き」と森さん。自らの人生に重ね合わせた実感なのかも知れません。〈略〉

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土性骨のすわった女優魂と飾らないユーモアで、いつまでも“元気”を届けてほしい。

真実一路くんより 

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