SciCom Japan メルマガ巻頭言【「生命倫理会議」が「臓器移植法改定に関する緊急声明」を発表】

●巻頭言

【「生命倫理会議」が「臓器移植法改定に関する緊急声明」を発表】
春日匠(NPO法人サイエンス・コミュニケーション理事/大阪大学CSCD)

臓器移植法の改正が議論されている。今回は主として、今まで認められてこなかった15歳以下からの臓器摘出を認めるかどうかが争点となっているが、それを認めるもの認めないもの、計4つの法案が提出されている。一般的には、ひとつの問題に四つもの法案が提出されることはないため、どのように決めるのが合理的なのか(単純に四つを順に審議していけば、後に来る法案が有利であろう)といった問題まで噴出している。

「死」および自分の身体についての「自己決定」という人間にとって根源的な問題を扱う法律だけに、単純な法学的な技術論争にとどまらせず、広く市民を議論に巻き込むことは好ましいという意味では、今回の「混乱」は必ずしも悪いことではないだろう。その点から見れば、今回の件について言えば、国会議員より市民やメディアの対応の遅れが目立つ。特に、アカデミックな世界からは、多くの発信が見られないことは大きな問題であろう。

例えば、B案では生前の意思表明の必要性は現行法通り維持しつつ、意思表明が可能な年齢を現在の15歳から12歳に引き下げるとしている。これは比較的穏当な解決策にも見えるが、「自分の身体に関する自己決定権」というのは、実は他の社会問題とも関連する問題である。ひとつには、当事者である子どもたちの意見を聞く工夫があまり見られないことは問題であろう。また、各種の社会調査などを見ると、選挙権の年齢引き下げなどには反対意見が多いように見受けられる一方で、未成年の犯罪に対する厳罰化や今回の臓器移植など、負担が増える方向での「決定権強化」が推進されていくという方向性に違和感を感じる人も多いのではないだろうか?

ちなみにこのB案は、日本小児科医学会が支持を表明している。元々、同学会も医師会や日本外科学会などの1団体25学会で作る「臓器移植関連学会協議会」に加盟していたが、協議会が支持する、脳死を臓器移植の有無にかかわらず人の死とするA案に反対して協議会を離脱している。小児科医の公式の立場としては、現場の混乱を避けるというような理由が挙げられているが、子どもの脳機能、特にその可塑性についてはわかっていないことも多く、脳死の判定を行うことが困難であるというのが重要なポイントであることが、会員へのアンケート結果から伺える。

一方で、国際社会とのコンフリクトも無視できない問題になっている。現在日本からは、毎年多くの患者が移植の機会を求めて海外に旅立つ。特に、日本では絶対に移植の機会を得られない年齢の患者は、海外に可能性を求めるしかない。しかし、移植技術の発達した欧米で治療を受けるためには極めて高額の医療費が求められる上に、どの国でも移植用の臓器は不足しているため、海外からの割り込みは社会問題となっている。また、比較的経費が押さえられる第三世界での移植という選択肢も存在しているが、この場合は技術的な問題の他に、臓器売買などの疑惑も問題となる。結果として、世界保健機関は移植ツーリズムを規制する方向で議論が進んでいる。

ただし、すでに子どもの臓器移植が可能になっている諸国でも臓器は不足気味だということからもわかるとおり、臓器移植法案を改正しても十分な臓器が提供されるとは限らない。基本的に、交通事故対策の強化や救急医療技術の向上などが見られれば、移植用の臓器はさらに不足することになる。僻地の場合、事故発生からきちんとした設備のある病院に搬送されるまで1〜2時間が経過することも少なくない一方、その患者が「脳死」と判定されるやヘリコプターが手配され、30分程度で移植技術をもつ大学病院に搬送されると言うことの理不尽さも指摘されるところであり、そういった疑問にも答えていく必要があるだろう。

こうした中で、非医学系のグループとしては初めて、「生命倫理会議」として、68名の研究者の連名による「臓器移植法改定に関する緊急声明」が発表された。ウェブサイトによれば「生命倫理会議は、生命倫理の教育・研究に携わっている大学教員の集まりです」とあり、哲学や社会学といった、主として人文・社会系の研究者が名前を連ねている。民主制の原理とは、討議することによってよりよい意見が生まれる、という前提の共有に他ならない。また、かつてのような「なんでも知っている大知識人」というモデルが、社会の複雑化や専門分化によって崩れてしまった今、様々なセクターごとに一定の見解をまとめ、それを連名での意見として世に問う、という作業は重要性を増している。フランスの社会学者ピエール・ブルデューが提唱した「集合的知識人」というモデルである。科学コミュニケーションに関する議論としては、その当該分野の専門家の意見を重視すべきか、一般市民の意見も尊重すべきか、という二元論になることが多い。しかし、実際はひとつの社会問題は様々な分野の知識と関係を持っており、専門性の関与の度合いには濃淡がある。「一般市民」を語らせるためにも、まずそれぞれの分野の研究者がそれぞれの分野の知見を利用して、討議のための基盤をつくるための意見表明をするということは、今後ますます重要になるであろう。その意味で、今回の「生命倫理会議」の提言は重要な意味を持っている。今後、臓器移植の問題に限らず、こういった活動が活発化することを望みたい。


臓器移植関連学会協議会 臓器移植法改正についての要望書
http://www.asas.or.jp/jst/pdf/topic/yobo0_20080731.pdf

日本小児科学会 現行法における小児脳死臓器移植に関する見解
http://www.jpeds.or.jp/saisin.html#78

生命倫理会議
http://seimeirinrikaigi.blogspot.com/

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このページは、かすががMay 22, 2009 7:59 PMに書いたブログ記事です。

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