湯・つれづれ雑記録(旧20世紀ウラ・クラシック!)

※旧ブログの一部コラム・記事、全画像は移植していません。こちらのコンテンツとして残します。

☆グラズノフ:ヴァイオリン協奏曲

2017年11月27日 | グラズノフ
マルコヴィッチ(Vn)ストコフスキ指揮ロンドン交響楽団(inta glio他)1972/6/14ロイヤル・フェスティバル・ホール(ストコフスキロンドンデビュー60周年記念live・一回目?)・CD

このコンビでlondonにスタジオ録音を残しているそうで、それに先立っての機会だとされているがそちらは未聴。

何故ってソリストが技術的に未熟過ぎるのだ。協奏曲では遅いテンポと生硬なリズムを形作るストコフスキではあるが、これは完全にソリストが「若すぎる(指揮者の70歳年下と紙面にセンセーショナルに書かれた)」。確かな堅牢な音がごくたまに、おっと思わせる部分もあるものの、このルーマニアのヴァイオリニストが、このストコフスキにとってもロンドンにとっても稀有の機会にふさわしい人材だったものか、もちろん興行的なものやストコの好みもあっての「起用」だったのだとは思うが、比較的短い単一楽章のグラズノフで手こずるようであれば大曲は難しい。

といっても(帝政ロシア時代末期にしては)多彩な演奏方法を要求される特異な曲で、決してヴァイオリンに精通していたわけではないことが伺える無駄に重い重音進行の連続やトリルの多用(これらはグラズノフの癖でもあるが献呈者ともなったアウアーの助言で何とかなったという気がしなくも無い)、自由度の少ない短いカデンツァ(D.オイストラフ版を使っていると思われる、というかそれしかないと思う)、第二部では音量的に不可思議なペットとの掛け合いから始まる、確かに国民楽派としては素晴らしい民族音楽の換骨奪胎ではあるけれども、いささか不自然さを感じさせる変奏曲・・・

それらを巧く繋いで全体的なまとまりを出すまでに到底至っていないソリスト、更にそれ以前の問題としてヴァイオリニストとしてどうかという上がりっぷりというか、音程の不確かさや指の廻らなさ、適切なスピードの維持できないスリリングな演奏ぶりに、「若さ」を強く感じさせられてしまう。ストコにとってもブラ1の一世一代、そして指揮人生の最後の輝きを象徴する演奏と比べ、拍手も半端になってしまうのは曲だけの問題ではあるまい。intaglio盤ののちに他でも復刻されたようであるが詳しくは知らない。同日同演目で二回公演をしているので、一回目とすれば単にソリストは上がっていたのかもしれない。音程が崩れるのは前半部であり、後半部のバラライカ模倣などは大ヴァイオリニストらがやっていたようにスピードで押し切るのではなくゆっくり響きを出していく特有の民族情趣が感じられてまあまあいける(偶発的なものの可能性が高いが)。

※2009/5/10の記事です

Comment    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« ☆ラヴェル:ボレロ | TOP | ☆ブラームス:交響曲第3 番 »
最新の画像もっと見る

post a comment

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

Recent Entries | グラズノフ