湯・つれづれ雑記録(旧20世紀ウラ・クラシック!)

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ブラームス:交響曲第1番

2009年05月09日 | ドイツ・オーストリア
○ストコフスキ指揮ロンドン交響楽団(inta glio)1972/6/15、ロンドンデビュー60周年記念live(一回目?)・CD

指揮者には弦楽器型と管楽器型がいる。おうおうにして弾けるメイン楽器が何なのかに限らない(他に歌謡型もいて、弦楽器型に似て非なる厄介な演奏を仕掛けたりするけど・・・ピアノ弾きに多い)。ストコは管楽器型に見えて、案外弦楽器を中心にしっかり組み立ててから表面をごてごて盛って膨らませていく古風な感覚を維持しており、曲によっては厳しく統制された弦楽アンサンブルを志向する。ストコは確か合唱指揮出身だが同時に弦楽器弾きだったと記憶している。そうなるとこれはメイン楽器に忠実な演奏ということになる。

ブラ1はとくに両端楽章において弦楽アンサンブルができていなければ成り立たない(中間楽章は木管ソロも・・・この演奏はコンマスソロが硬質ではあるものの異常に美しいが)。ぶっきらぼうなブラスの扱いに増して目だっているのは、纏綿とした音色を駆使した旋律よりも縦を厳しく揃えリズミカルな流麗さを求め、音色は二の次といった弦楽表現で、終楽章はテンポ的にも決してただ求心力が強いたぐいのトスカニーニブラームスではないものの、娯楽的でもバンスタ的でもなく(同じか)自身の予め設定した独特のアーティキュレーション(とブラス増強とか)を伴う解釈に基づいた苛烈な要求をオケに対してなした挙句、オケがどの程度反せたのか、それが演奏の程度に直接結びつくものとなっている。終楽章展開部でオケがやっと疲弊したのか冗長さが感じられるしコーダ前の瞬間湯沸かし器的疾駆で弦楽がばらけたのが惜しまれるものの、ここまでストコにしっかりつけられた弦楽器、そしてその結果がけして情に溺れる演奏ではないという事実に、終演後の盛大なフラブラを納得して受け止めることができる。

この録音は邦盤が初出だったらしい。日本人はブラームスに物凄く思い入れの強い種族で、愛ゆえに非常に凝り固まった解釈表現しか許さないところがある。しかしここまで凝縮された演奏に優秀録音では、ストコの「改変」ブラームスを無視はできないのではないか。ブラームスのスコアのどこに手を入れる場所がある?と言うのは小物の戯言。音が全てを物語る、それが音楽だ。これは多弁な演奏ではない。しかし野武士のような強靭さと説得力がある。一定の評価を与えるべき。○。

intaglio盤を参考にした。CALAが60周年ライヴとして出しているCDと聴き比べていないが、CALAの硬質で整形過剰な復刻ぶりからいって板起こしによるintaglioと大した違いがないものと思う。この二つが同日異演奏(チケットが足りず異例の同日二回公演となった)とか、この録音自体が68年のものであるという情報もあり(こちらはネット情報で嘘ぽい)、敢えてintaglioとして挙げた。

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