○ミトロプーロス指揮NYP(GUILD)1953/4/19live・CD
どうもどこかで聴いた覚えがあるのだがデータ的には初見である。愉快な演奏で録音状態柄(guildだから放送だろう)リアル感が強くミトプーの芸風からしても音詩的な情景描写感は薄いのだが、純管弦楽としては非常に楽しめる。強靭な推進力を持ったオケの威力を最大限に引き出すミトプーの才能というか、NYPへの適性を感じる。NYPは事実上この人なくしてバンスタ時代には至れなかったと思う。録音状態から◎にはできないが、通俗名曲に留まらない魅力を発揮させた佳演。
Rubinstein & Mitropoulos - Recordings 1953: Saint-Saens, Borodin, Franck, Scriabin / Arthur Rubinstein, Dimitri Mitropoulos, NYP
どうもどこかで聴いた覚えがあるのだがデータ的には初見である。愉快な演奏で録音状態柄(guildだから放送だろう)リアル感が強くミトプーの芸風からしても音詩的な情景描写感は薄いのだが、純管弦楽としては非常に楽しめる。強靭な推進力を持ったオケの威力を最大限に引き出すミトプーの才能というか、NYPへの適性を感じる。NYPは事実上この人なくしてバンスタ時代には至れなかったと思う。録音状態から◎にはできないが、通俗名曲に留まらない魅力を発揮させた佳演。
Rubinstein & Mitropoulos - Recordings 1953: Saint-Saens, Borodin, Franck, Scriabin / Arthur Rubinstein, Dimitri Mitropoulos, NYP
弾きながらいったいこの曲のどこがいいんだ?っていらつく曲である。
こういう曲はプロがやってればそれでOK。アマオケがやる必要なんてまったくないっていつも思ってしまう(チェロのソリが難しいって理由からじゃ断じてw)。
秋川雅史のコンサートをお袋の付き合いで聴いたよ。
ひどい。
本当にひどい。
声でねぇじゃねぇか。
あいつはテナーじゃない。
ハイバリトンだな。
上なんて地声でわめいている感じ。
イタリアの曲なんてイタリア語の発音はカタカナ発音だし。
「川の流れのように」も歌っていたが、まるで棒歌い。
紅白出て、千の風が売れたんでもっているだけで、歌のセンスゼロ。
他の真面目にやっている声楽家がかわいそう。
本当にへたくそな奴だな。
ラヴェルみたいに極めて機械的な書法なので悪いパーツを割り振られた楽器には堪らなく退屈にはなりえるんでしょうね。従って
>こういう曲はプロがやってればそれでOK
アマチュアが不用意に出来ない曲といえばそうなのかもしれません、ラヴェル同様。
>秋川雅史のコンサート
そんななんですか・・・棒歌いはないですねえ・・・
確かに紅白以後悪い評判は流れましたね。日本の歌い手の世界はキナ臭いですねえ。。
アジアの弦楽器の雰囲気を出したいと思うのだったらヴィオラでいいと思うのだよね。
チェロがひんひん言って弾く必要性をあんまり感じない。
ボロディンの周囲にはびよりすとしかいなかったのかな。
ラヴェルに至ってはチェロと共に牢屋に監禁して、チェロはこういう楽器だって事を身をもって覚えさせたいぜ。
鍵盤でも付いているとでも彼は思っているのかなw
でも、チェロは弦楽器でできることは何でもできる楽器と言われているし、技術的な革新と超絶的な演奏を可能としたチェリストが輩出された時期なので、結構作曲家にとって便利な楽器扱いされるところもあるのかもしれないですね。。作曲家周辺にどういう演奏家がいたのか、ってロシアでは重要なことだったみたいです。イギリスでは名ヴィオリストが出たのでヴィオラ曲が爆発的に増えました。
ヴィオラは音色的に19世紀末から20世紀前半の時期の各国国民楽派や新古典派に広く好まれているので、そのへんで固定観念ができていて、完全に旋律楽器扱いする作曲家もいますし(チェロは通奏低音担当)。
それまではひどい音でやっていたのだ。
カザルス以前はわきの下に本を挟んでの練習をやっていた事を考えるとその音色は想像出来る。
作曲家は神でもなんでもない。
間違いも犯す。
もちろんスコアは尊重するがそれが真とは思えない事も多い。
ただカサルスが活動しだした頃には既に現代チェロへの移行が行われ始めていたのでは・・・?まだチャイコが生きていた位の頃ですよね。マニアでラテンなラヴェルあたりは事情が違うような。