稲葉奈々子pdf
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  1. 1「違法」だが「正統」な闘い稲葉奈々子 公共空間は何のためにあり、誰のためのものなのか。1990年代半ば以降、フランスで活性化している社会運動は、この問いへの答えを考える上での材料を与えてくれる。1994年12月のクリスマスに近い時期、パリの中心部、首相官邸やオルリー美術館があるサンジェルマンデプレ地区のドラゴン通り7番地の空きビルを約60名のホームレスの家族が占拠し、マットなど生活用品を運びこんで入居を宣言した。この占拠を支援したホームレスや失業者の団体も入居し、「民衆大学」の開設を宣言した。占拠した建物は廃校になったカトリック系の小学校で、不動産開発業者が買い取り、ショッピングセンターの建設を予定していた。ところが90年代はじめの不動産バブルの崩壊で、ビルの価格は暴落、この不動産開発業者は借金を抱え、ビルは空き家のまま数年にわたって放置されていた。 当時のフランスでは、数万人がホームレス生活を送っているにもかかわらず、このような空きビルが都市部に多数存在していた。空きビルのなかには、公共機関や保険会社など公的性格の強い会社が投機目的で所有するものも多かった。ドラゴン通り7番地の占拠は、こうした矛盾を指摘するために行われたものだった。この占拠を行った社会運動団体「住宅への権利運動」は、1990年に活動を開始した。パリ市内でケレール通り、コティ通りと、次々と空き家を占拠していった。空き家を占拠し、立ち退きを求める大家との裁判闘争を展開していった。占拠する建物の所有者は個人ではなく、パリ市や銀行など公的性格の強い団体が所有する建物が戦略的に対象とされた。メッセージはただ一つである。「路上生活を送る者がいる一方で、公的機関が空き家をそのままにしているのはおかしい」と。 そもそも、フランスには「住宅接収法」という法律が存在する。住宅が不足するときには、政府が空き家、ときには空き部屋までも接収して、住宅問題を解決するための法律である。アルジェリアが独立を遂げて、多くの植民者がフランスに引き揚げてきた1960年代には、この法は何度も適用され、数万の人が住宅を得た。今日、同じく住宅問題を抱える人びとが存在し、同時に多数の空き家があるのだから、この法律を適用せよ、というのが住宅への権利運動の主張である。そして、政府が法律を適用しないのならば、市民が適用する、というのがその論理である。こうした闘争を経て、1993年にまず、パリ市は「必要に迫られて空き家占拠した者を強制排除しない」ことを明記する「コティ条例」を定め、さらに裁判所は「必要に迫られて占拠した場合には刑法に違反しない」という判決を出した。この判決は、個人が適切な住宅にアクセスできる権利を保障することは国家の責務であることを明確にした。
  2. 2「請求権付き住宅への権利」の成立2006年12月のある日、パリ北東部を流れるサンマルタン運河の河川敷に、約200のキャンプ用の簡易テントが並んだ。「ドンキホーテの子どもたち」と称するプロジェクトであった。発起人は売れない俳優オーギュスタン・ルグラン。その主張は、「ホームレスに家を」という単純明快なものであった。 「私たちを支持するならサンマルタン運河に来てください。私たちがこのまま死んでもいいと思うなら放置してください」。つまり、行動を起こさないことは、どうぞ死んでください、と宣告したことを意味する。クリスマスのバカンスにさしかかっていたこともあり、あっという間に多くの若者がテントを持参してサンマルタン運河に集まった。パリ市長ドラノエ、都市・住宅大臣ブタン、雇用・社会・住宅大臣ボルロ、社会党党首オランドなど、著名な政治家もつぎつぎと現場を訪れた。キャンプ生活に参加する人びとが増えただけでなく、毎日のように支援物資が運ばれ、炊き出しが行われ、運河沿いは毎日多くの人でにぎわい、そこに寝泊まりするホームレスの人たちとの議論も、そこかしこで行われていた。パリのサンマルタン運河沿いだけではなく、フランス各地に「ドンキホーテの子どもたち」プロジェクトが出現し、簡易テントが全国の広場に雨後の筍のように出没した。「ドンキホーテの子どもたち」に好意的な世論に後押しされる形で、翌年に大統領選挙を控えていたこともあり、当時の大統領シラクは。何度か議会で審議されてはお蔵入りになっていた「請求権つき住宅への権利(DALO)」法案をあらためて支持し、翌1月の国会では早々に可決の運びとなった。法律は、「もっとも困難な状況にある者、つまり、ホームレス、貧困な被雇用者世帯、母子世帯、住宅と呼ぶに価しない住宅やあるいは不衛生な住宅に居住する者を対象とし」、「みずからの収入では適切で独立した住宅を得ることができない場合」に、個人は行政に対して住宅を請求することができる、というものである。 政府がやるべきなのにやらずに放置していることを、市民がやってみせ、多くの人びとがそれを支持することで正統性を得て、政府がそれを制度化した、ということになる。フランスの「住宅への権利」は「人権の国」フランスだから自明のこととして成立したわけではない。1990年代以降、公共空間の占拠という、非暴力ではあるが「過激な」直接行動に訴える社会運動によって確立していった。一つひとつの直接行動は、そのたびに占拠した空間に多くの人が訪れることで、世論によって広く支持されていることが示され、そして運動の主張の正統性もまた証明されていった。社会運動は、「市民社会」代表とみなされており、政府もその主張を無視するわけにはいかない。このようにして、「請求権つき住宅への権利」が実現した。社会運動の公益性 西ヨーロッパでは、市民が国家を監視する必要性については、欧州人権規約などに謳われて
  3. 3いる。したがって、社会運動の行為が、法律で認められた行為を逸脱しても、違法性をしのいで公共性が勝ると司法が判断して、罪に問われない例がいくつもある。 住宅への権利運動の場合、1995年の判決は、「必要性に迫られての空き家占拠は刑法に違反しない」という画期的な判決であったが、裁判官は同時に社会運動の意義についても重要な判断を下していた。「許容しがたい貧困の存在という社会の不正義が放置できないまでに拡大している問題を広く知らしめた『住宅への権利運動』の活動の重要性は認められる」と。つまり、空き家占拠を手段とする社会運動団体の行為に正統性を付与する裁判であった。このとき、住宅への権利運動は、問題が「住宅」にとどまらないことを指摘し、貧困であることを処罰するように社会秩序を方向づける「知のあり方」そのものを問題にして、占拠した建物での「民衆大学」を開設していた。裁判が決着するまで、「民衆大学」で講義は開講され続け、支配層に都合のよい「知」が支配を正統化していることを明らかにすべく討論が行われた。討論のなかでは、経済的なものさしが社会のあらゆる局面にあてはめられて、人間の有用性までが経済的に測定されている事実が指摘され、社会的排除の仕組みが問題にされた。この「民衆大学」については、裁判では、「知への権利」には緊急性はないとして、社会運動団体は即刻退去することが命じられたが、上述したように住宅への権利運動の行為の正統性は司法の場で認められた。「象徴的には勝った」と、住宅への権利運動が宣言したゆえんである。 このように社会運動が社会の矛盾を公にすることに公益性を認めることは、なにもフランスの司法の特殊性ではない。自由権規約や欧州人権規約は表現の自由の観点から、社会運動の行為に公益性を認めている。これをもっと積極的に推し進めた考えが、ハバーマスの説く「憲法的愛国心」であろう。さまざまな多様な価値観がどれも正統性をもつ今日、もはや、あらかじめ前提としうる「正しい価値観」は存在しない。それでは、ある社会でいかにして人びとが尊重すべき価値観は形成されうるのか。それは市民一人ひとりが討論に参加して、合意を形成する以外にはありえない。そうであるならば、社会運動とは、まさに市民による討論形成の場である。グローバル化は、ますます多様な利害の対立を国境を越えて提示するようになった。一国家内で完結していた価値観では、もはや持ちこたえることはできない。そのときの「愛国的」な行為とは、民族アイデンティティなど古典的な意味でのナショナリズムに基づく行為ではなく、すべての人に自由と平等を尊重する人権のように、もっと普遍的な価値観に基づいた判断による。 そもそもヨーロッパの国々は、国連の社会権規約や欧州人権規約を批准しており、ホームレスとなった人の人権を保障することに義務を負う。それが守られない場合、市民みずからが法を執行することは公益にかなうと判断される。 そうであるがゆえに、直接的に命にかかわる住宅問題に対して、政府が何もやらないのであれば、市民が非暴力な直接行動により、法を執行する主体となることも認められる。住宅への権利運動による空き家占拠は、「住宅接収法」の市民による適用であり、まさしく国家が法律
  4. 4を遵守しないのならば、市民が法を執行する、というものである。つまり国家の不作為を糾弾し、市民が国家権力を監視する行為にほかならない。「変わらなければならないのは私たちのほうではない! 変わるべきは法律のほうだ」 こうした論理により、1990年代のフランスでは、公共空間の占拠を手段とする社会運動が活性化した。失業者たちは、「雇用占拠」により、長蛇の列に対応しきれないスーパーマーケットのレジや郵便局の窓口といった超過労働の場でかってに働き、ワークシェアリングの必要性を訴えた。あるいは「公共交通占拠」では、ただ乗りを敢行し、失業することで移動の権利すら否定されていることを訴えた。あるいは「輪転機占拠」では、新聞社の輪転機を占拠して、貧困層自身が何を求めているか、当事者たちに意見が求められることなく、「専門家」が政策を決定することへの異議が申し立てられた。 これらの非暴力直接行動について、参加者は「私たちの行為は違法かもしれないが、正統だ」と胸を張って言う。当事者がどれだけ「正統性」を訴えても、この「過激な」行動は警察によってさぞかし厳しく取り締まられるのかといえば、逮捕者が出たことはない。占拠している場から警察による暴力的な強制排除が行われることはたびたび起きるが、そのたびに警察の暴力が批判されることはあっても、占拠している当事者がマスコミによって批判されることはない。 「変わらなければならないのは私たちのほうではない! 変わるべきは法律のほうだ」。これは、占拠した公共空間で参加者によって叫ばれるスローガンの一つである。空き家占拠や住宅省の関連機関への直談判の場で繰り返し叫ばれる。そこで訴えられているのは、「請求権つき住宅への権利」という存在する法律の執行であり、政府としても彼ら・彼女らの訴えの正統性を否定するわけにはいかない。 これについて、住宅への権利運動の活動家は、「やっていることは過激かもしれないけれど、言っていることはまっとうだからだと思う。すべての人に屋根をという主張は、そんなにショッキングな主張ではないから、保守的な政治家もそれについては批判のしようがないから」という。 公共交通占拠の結果、パリと南フランスでは広域にわたって地下鉄とバス、および近郊都市鉄道の無料のパスが失業者に支給されるようになった。雇用占拠に参加した失業者を雇用する企業も現れた。違法だが正統な行為としての社会運動 非暴力直接主義による市民みずからによる法の執行は、貧困をめぐる社会運動だけのものではない。遺伝子組み換え作物に反対する農民たちは、「ボランティア収穫」と称して、遺伝子組み換え作物の畑を刈り取ってしまうという行動を続けている。これは、存在する法の執行を求めるものではないから、リーダーとみなされたジョゼ・ボヴェは何度も投獄されている。
  5. 5ボヴェは、みずからの運動の技法である「市民的不服従」を、「異議申し立てのあらゆる制度的方法が尽きた場合にとられる抵抗の集合的行為」としている。「市民的不服従」は、ボヴェによれば、「誰もが参加できる直接行動であり」、人々の利益に反すると考えられる法律に対する抵抗である。法律に従わないことは、「違法だが正統」な選択肢を示すことであり、正統性がどちらにあるかを市民社会に問うことができる。つまり、市民が積極的に正義を執行する行為者として位置づけられている。「市民的不服従」は、表現の自由に照らして市民の権利であるだけではない。むしろ、法が公益に反する場合には、それに従わないことが市民の義務であるという、積極的な市民の関与を要請する考え方である。西ヨーロッパでは、かつてナチス政権の蛮行を許してしまったという反省から、国家が間違った法を執行しているときには、市民がそれに従わない勇気の必要性が、強く認識されてきた経緯がある。ある法が公益にかなっているか否かを判断する基準は、その法が、普遍的価値である基本的人権を守るものであるかに尽きる。このような考え方にのっとるならば、ナイキ公園に反対する市民運動は、まさに「公益」を守るためのものといえよう。
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