ダイヤモンド社加藤様より献本御礼
初出:2009.02.10; 販売開始まで更新
原著は本書の訳者が実はすでに書評している。
これを見て、私も[あとで読む]タグを脳内に貼っておいたら、献本の方が先に来てしまった。
こんなに面白い人物伝を読んだのは何年ぶりだろう。そして、役立ち度がこれほど高いものとなると、もう何十年ぶりにもなるのではないか。
本書「無一文の億万長者」は、空港で必ず目にするあのDFSで財をなし、にも関わらずそのほとんど全てをThe Atlantic Philanthropies設立に費やし、そこを通して匿名でこれまで40億ドルもの寄付をしてきてきたChuck Feeneyの一代記。
"The Billionaire Who Wasn't" Review要約: 日本人の団体ツアー観光客が必ず立ち寄った、ハワイや香港のDFS創始者は、億万長者になったがそれをすべて寄贈して財団を作り、絶対匿名を条件にすさまじい慈善を展開した。その慈善もビジネスマンのセンスを縦横に活かし、本当に価値あるプロジェクトを見事に選びだして見事な効果をあげている。金持ちになっても金に執着せず、家も持たずエコノミークラスしか使わないチャック・スウィーニーの伝記は、財産とビジネスと慈善の関係について読む者に考えさせずにはおかない。
Billionaire は極めて珍しい存在とはいえ、67億人も世界人口があれば覚えきれぬほどの数にはなる。その財産のかなりの部分を寄付にまわすものもそれほど珍しくない。しかし目立たぬようにそれをやるともなると、本書の主人公、チャック・フィーニーその人ぐらいになってしまうのではないか。
Amazonより有名免税店DFSの創始者は、世界有数の大富豪なのに、飛行機はいつもエコノミークラス、食事もハンバーガーという変わり者。いつしか、財産のほとんどを寄付して、慈善事業に精を出し始めるように。彼を突き動かすのは、いったい何なのか?
清貧な億万長者なんて、どこの聖人君子かという感じがするが、本書を読了した後には、むしろいかにチャック・フィーニーが「平凡の人」かという思いがむしろ強くなる。「平凡な人」ではない。彼は「平凡」に勤勉で、「平凡」に目ざとく、そして「平凡」に家族を愛し、そして「平凡」に悪名を恐れてきた。
P. 396かれの人生は矛盾だらけだ。家族用に最高の邸宅をいくつか買ったのに、自分はそこに住もうとしない。慎ましい暮らしをしつつ、時にインターパシフィックの5つ星リゾートに滞在する。世界最大のタバコ小売り業者でありながら、自分はタバコが大嫌い。贅沢品を販売しているのに、自分は心でもルイヴィトンのブリーフケースなど持たない。高級消費材を売りつけて財をなしたのに、商業主義に毒されたクリスマスを嫌う。
この首尾一貫性のなさに、私は主人公の小市民性を感じる。彼は大志を抱きそれを果たすという、立志伝のステレオタイプとは正反対だ。その代わり、彼は目の前のチャンスや危機を放置できない。売れると思えば売ってしまうし、助かると思えば助けてしまう。彼の成功は、巨大な運や卓越した才を数回発揮したからではなく、ちょっとした運と少しだけ優れた才能を何万回も積み重ねてきたからだ。他の偉人たちが「飛んで」到達した地点に、彼はあくまで「歩いて」行ったのである。下手に飛ぶよりよっぽど速いのだが、それでも飛ばずに歩いたところが、フィーニーのフィーニーたる所以なのだ。
だから、失敗も少なくない。「一勝九敗」ではなく、「万勝九万敗」といった感じなのだ。本書の分量が原著の七割であるにも関わらず400ページもあるのは、そうせざるを得なかったからだ。
そのフィーニーが非凡なのは、非凡を得たにも関わらず平凡を目指したことにあるのではないだろうか。彼は決して金が嫌いだったのではない。金が目的になってしまうことが怖かったのだ。匿名が好きだったのではない。名声に平凡が破壊されることが怖かったのだ。「Only the Paranoid Survive」というが、彼が celebrity を恐れるというという点でパラノイドだったのだ。
なんらかの分野で非凡になると、非凡であることを受け入れることこそ自然であるというのが全球的な世間の空気である。だからこそ、非凡に抗うフィーニーの姿勢は、むしろより非凡で、そうでありながら平凡な読者はより強く共感することになる。
そして、平凡な生き物は、死に抗いつついつか死を迎える。
あまりに巨大な成功ゆえに平凡な無名を諦めざるを得なかったフィーニーも、この二点に関しては諦めていない。二点である。フィーニーもその財団も、「いつかなくなる」ように動いてはいるが、しかしそれは「座して死を待つ」とは対極にある。フィーニーの財団は早ければ2016年には発展的解消することを目指しつつも、資産はきちんと運用している。運用したおかげで財団の規模がより大きくなってしまったというのは皮肉だが、それでも全財産を現金にするなんてことはしない。財団の寄付のありようも、金だけ渡すというのとはほど遠い。むしろその内容は投資に近く、フィーニーは大きなリターンを期待している。ただ受益者が本人ではないというだけだ。
そんな「投資的寄付」は、一国をも変えてしまうだけの力がある。フィーニーの祖先の国アイルランドの驚異的な経済成長の影には、フィーニーの大学への投資がある。その額は累計で10億ドルほどにもなるが、それがケルトの虎の成長にどれだけ貢献したかは計り知れない。
I shall perish; we shan't
というわけである。フィーニーのありようが非凡でありつつ自然なのは、生物の原則に忠実であるからかも知れない。だからこそ、本書は「ありえない」成功者の物語であるにも関わらず役に立つ。誰もが億万長者になれるわけではないが、誰でも死ぬのだし、そして誰でも次の世代に何かを託すことはできるのだから。
Dan the Mortal
追記:前述のとおり、本書は全訳ではない。
P. 419冗長で本筋とは関係ない部分、あまりに細かすぎる記述などを全体的に刈り込み、原文の七割ぐらいの分量としている。削除された大きな部分は、特に第三部のDFS売却騒動での各人の担当弁護士紹介や法的処理や状況説明などの瑣末すぎる記述、そして第四部のアイルランド和平関係で登場する、日本人にはあまりになじみの薄いIRAやアイルランド政府等の細々した人物紹介などとなる。
とのことである。最後の部分に結構そそられるのだが、そう言われてみないとわからないぐらい本書の言葉は自然で読みやすく、そして重要なディテールはしっかりと書かれていた。原著もきちんと目に通してみないと断定はできないのだが、本書はむしろ原著よりもよくまとめられているような印象を受けた。
追^2記:
P. 244デールはすぐに、この打診の裏にLVMHがいるのなら本気だと悟った。パリを拠点とする年間売上額約六〇億円の巨大企業は、おそらく当時この免税事業を即座で買えた世界唯一の小売業者だった。
約六〇億ドルですよね?
→「自分は死んでも……」かな?