90年代的なものへの批評としての涼宮ハルヒ

下のエントリ関連で一昔前(1995〜2001あたり)に涼宮ハルヒがあったらこんな風だよなあ、ということを妄想していた。

・舞台は震災の爪跡を残す兵庫県某市。

・そこの高校に通う涼宮ハルヒは「宇宙人がどーの」「世界の終りはもうじきやってくる。地震はその予兆」とか言ってまわる痛い人間。よって苛められている。「させ子」「公衆便所」という噂を流されている。

・主人公はそんなハルヒに好意を寄せられている。うれしくはあるが、仲間内から浮くので迷惑がっている。

・主人公はハルヒに誘われる形で一度だけヤる。どうやら「公衆便所」という噂は嘘だったらしい。でも主人公はハルヒを振る。彼女と付き合うと色々面倒なので。

・イジメとフラレたストレスでハルヒは教室で暴れ周り、イジメの主犯であった朝比奈みくるをバタフライナイフで刺す。

ハルヒはこの日を境に学校からいなくなる。どうやら引っ越したらしい。主人公はハルヒの唯一の友人長門有希に「なんでハルヒを救ってくれなかったの?」と非難される。

・月日は流れ1999年7月某日。受験勉強で忙しい主人公の元に分厚い手紙が届く。ハルヒからだ。そういえば彼女が世界が滅ぶと言っていた日付は、今日であったことを思い出す主人公。懐かしさとともに、彼女に謝りたいという気持ちがこみ上げてくる。だが、気味が悪く、封を開ける勇気もない。結局主人公は封を開けずに手紙を捨てる。無論1999年7月某日に世界は滅びない。

・主題歌はCocco

という感じになるだろう。彷徨えるイノセンスな話。これなら四季賞確実だ!『涼宮ハルヒの憂鬱』ってのはこの手のストーリーに対抗している物であると思う。

俺讃歌

ところでコーンポタージュやコーンフレークやポテトサラダが好きで仕方がない。このお子ちゃま舌めッ!そのくせ本人は無頼気取り。郊外のDQN気取り。それとカントリーマアムは幼女が捏ねて作ったクッキー。と妄想して今日を生き延びるライフハック児ポ法が強化されると、カントリーマアムのような幼女製クッキーも食えなくなるのですよ皆さん!とデマを飛ばしてみる。