八田與一

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八田 與一

八田 與一(はった よいち、1886年7月4日1942年5月8日)は、大正期から昭和初期にかけて活躍した水利技術者。日本統治時代台湾で、農業水利事業に大きな貢献をした人物として知られる。

目次

[編集] 生い立ち~台湾へ

石川県河北郡花園村(現在は金沢市内)の出身。石川県尋常中学四高を経て、明治43年(1910年)に東京帝国大学工学部土木科を卒業後、台湾総督府内務局土木課の技手として就職した。台湾では初代民政長官であった後藤新平以来、マラリヤなどの伝染病予防対策が重点的に採られ、與一も当初は衛生事業に従事し、嘉義市台南市高雄市などの各都市の上下水道の整備を担当した。その後、発電・灌漑事業の部門に移った。與一はわずか28歳で当時着工中であった桃園大圳の水利工事を一任されたが、これを見事に成功させ、高い評価を受けた。当時の台湾はまさにこういったインフラ建設のまっただなかで、水利技術者にはおおいに腕のふるいがいのある舞台であった。また、31歳のときに故郷金沢の医者の娘・米山外代樹と結婚した。

[編集] 嘉南大圳

:zh:嘉南大圳も参照

大正7年(1918年)、與一は台湾南部の嘉南平野の調査を行った。嘉義・台南両市域も同平野の区域に入るほど、嘉南平野は台湾の中では広い面積を持っていたが、灌漑設備が不十分であるためにこの地域にある15万ヘクタールほどある田畑は常に旱魃の危険にさらされていた。そこで與一は民政長官下村海南の一任の下、官田渓の水をせき止め、さらに隧道を建設して曽文渓から水を引き込んでダムを建設する計画を上司に提出し、さらに精査したうえで国会に提出され、認められた。事業は受益者が「官田渓埤圳組合(のち嘉南大圳組合)」を結成して施行し、半額を国費で賄うこととなった。このため八田は国家公務員の立場を進んで捨て、この組合付き技師となり、大正9年(1920年)から昭和5年(1930年)まで、完成に至るまで工事を指揮した。そして総工費5,400万円を要した工事は、満水面積1000ha、有効貯水量1億5,000万m3の大貯水池・烏山頭ダムとして完成し、また水路も嘉南平野一帯に24,000kmにわたって細かくはりめぐらされた。この水利設備全体が嘉南大圳(かなんたいしゅう)と呼ばれている。

烏山頭ダム。下村海南によって珊瑚潭の美称が与えられている(2004年3月11日)

現在でも烏山頭ダムはその大きな役割は1973年に完成した曽文渓ダム(この計画自体は與一によるものである)に譲りつつも、嘉南平野を潤している。また、與一の採った、粘土・砂・礫を使用したセミ・ハイドロリックフィル工法(コンクリートをほとんど使用しない)という手法によりダム内に土砂が溜まりにくくなっており、近年これと同時期に作られたダムが機能不全に陥っていく中で、しっかりと稼動している。烏山頭ダムは現在公園として整備され、與一の銅像と墓が中にある。また、與一を顕彰する記念館も併設されている。

[編集] 台湾総督府復帰~殉職

その後與一は台湾総督府に復帰し、勅任技師として台湾の産業計画の策定などに従事した。また対岸の福建省主席の陳儀の招聘を受け、開発について諮問を受けるなどしている。しかし、太平洋戦争さなかの昭和17年(1942年)5月、與一は調査のため長崎からフィリピンにむかったが、その途中、乗っている船が五島列島付近でアメリカ潜水艦に撃沈され、與一自身も死亡した。與一が死去し、日本が戦争に敗れた後の昭和20年9月1日、與一の妻外代樹も彼の後を追って烏山頭ダムの取水口に投身自殺した。

[編集] 評価

日本よりも、彼が実際に業績を挙げた台湾での知名度のほうが高い。特に高齢者を中心に與一の業績を評価する人物が多く、烏山頭ダムでは與一の命日である5月8日には慰霊祭が行われている。また、現在烏山頭ダムにある與一の銅像はダムの完成後の昭和6年(1931年)に作られたものであるが、中華民国蒋介石時代に日本の残した建築物や顕彰碑の破壊がなされた際には、地元の有志によって隠され、昭和56年(1981年)になって再びダムに設置されるようになった。このように與一が顕彰される背景には、業績もさることながら、土木作業員の労働環境を適切なものにするため尽力したこと、危険な現場にも進んで足を踏み入れたこと、事故の慰霊事業では日本人も台湾人も分け隔てなく行ったことなど、彼の人柄によるところも大きく、エピソードも多く残されている。

現在でも中学生向け教科書『認識台湾 歴史篇』に八田與一の業績は詳しく紹介されている。平成16年(2004年)末に訪日した李登輝台湾総統は(農業経済学者でもある)、與一の故郷金沢へ訪問した。

2007年5月21日に陳水扁総統は八田與一に対して褒章令を出した。また馬英九次期総統も、2008年5月8日の烏山頭ダムでの八田與一氏の慰霊祭に参加した。

日本においては、土木・水利研究者を除いてあまり知られていないが、司馬遼太郎の『街道をゆく』や小林よしのりの『新ゴーマニズム宣言スペシャル・台湾論』などで取り上げられている。

[編集] 参考文献

  • 司馬遼太郎 「八田與一のこと」『街道をゆく四十 台湾紀行』 朝日新聞社、1994年、281-293頁。
  • 司馬遼太郎 「珊瑚潭のほとり」同上所収、295-306頁。
  • まつだ しょういち著、たにうち まさと(イラスト) 『よいっつぁん夢は大きく‐台湾の「ダムの父」・八田與一』(ふるさと偉人絵本館4)、北國新聞社出版局、2007年。ISBN 978-4833015653

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