いよいよ本日、南アワールドカップ本大会に臨む日本代表メンバーが発表される。どのスポーツニュースも、その日が迫っていることをしきりに伝えている。運命の日などと言って大仰に煽るものもある。

岡田サンへの不満はどこへやら。続投ノーが9割を超える世論を、積極的に報じようとするメディアは少ない。根本的な問題には目をつむり、細部に目を向けようとしている気がしてならない。「そっち」より「こっち」というわけだ。

しかし、そっちがダメだと、こっちもダメなのだ。誰が選ばれようと、使う術に問題がある限り、大きな期待は抱けないのである。問題点はすっかりすり変えられてしまった状態にある。

岡田サンには「前科」がある。12年前、土壇場で三浦カズを外すという大胆な決断を下した過去があるので、今回も何か起きやしないかと期待したくなる気持ちはよく分かる。事実、僕の野次馬精神も、そういう意味では思い切り掻き立てられているが、やっぱりそれはそれ。

12年前、カズが代表メンバーに残っていたら日本の成績は変わっていただろうか。3連敗は免れただろうか。1分け2敗はあったかも知れないが、基本的にはノーだと僕は思う。サッカーはメンバーの23人が、1つしか残らない結果を求めて戦う団体競技だ。フィギュアスケートの日本代表とは違う。マラソンやスキーのジャンプとも違う。個人の力が、結果に影響を及ぼしやすい野球とも違う。強引に言えば、それはたいした問題ではないのだ。重要なのはサッカーゲームの進め方。個人の力は二の次になる。

選手はあくまでも駒。少なくとも僕は、常々そう割り切るようにしている。サッカー好きになったきっかけを問えば、多くの人は「選手」と答えるに違いない。観戦のとっかかりは気になる選手がいたから。非サッカー経験者であるほどそうであるに違いない。石川遼くんの登場でゴルフのトーナメントを見始めた人などは、まさにそれに該当するが、サッカーファンにもこのタイプは少なくない。好みの選手が出場するか否かで観戦のモチベーションが大きく変わる人は実際、岡田サンを支持しない人の中には、なぜジュビロ磐田の前田をもっと使わないのか等々、○○選手を使わないからという人が多くいる。そうした選手のセレクトに対して、僕も意見がないわけではないが、これは監督の趣味の問題であり、その趣味は人それぞれで微妙に違う。「君たちからどういわれようと、私は趣味を変えるつもりはない」とはオシムの言葉だが、絶対的な権力を持つ代表監督からそう言われると返す言葉はない。

実際、代表監督が交代すれば、メンバーも半分近くは入れ替わる。選手の個人成績が極端に少ないサッカーにあって、これは常識。代表監督は、いわば自分の趣味を謳歌できる「独裁者」なのである。

しかし、その独裁者ぶりは、これまでにも何度となく発揮されてきた。メンバー発表が行われるのはこれが初めてではない。よって、最終メンバー23人のうち、20名近くの名前は、過去の例から簡単に想像することができる。サッカーのやり方も同様。岡田ジャパンには誰がメンバーに加わろうと、大きな期待は寄せられない状態にある。

いまメディアが騒いでいるのは、サプライズがあるかないか、だ。意外な選手の落選、当選だ。その泣き笑いを楽しもうとしているに過ぎない。そういっても言い過ぎではない。話は対世界ではなく対国内に向いてしまっている。それもまた楽しからずやではあるけれど、日本の世界的な立場を考えると、暢気な姿に見える。騒ぐべきことはもっと他にあるはず。本質には目を瞑り、あえて楽しげな話題で盛り上がろうとしている日本のサッカー界。万が一、僕期待の小野伸二が、サプライズでメンバーに加わろうとも、大局に変化は起きないだろう。

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