恋愛上のコミュニケーションもずいぶん変わった | ビジネスに効くクスリ

恋愛上のコミュニケーションもずいぶん変わった

会社の社内報に掲載していたものを再編集してブログにエントリーしてみる。

ノスタルジックな話なので真剣に受け止められると恐縮ですが、ま、世の中ってこういう変化があったのだということを伝えていく意味でも書き残しておきたいなあと。

モバイルやインターネットのおかげで私たちのコミュニケーションの形は大きく様変わりしている、とよくあるセミナーの冒頭トークみたいなことを言うのも恥ずかしいのだが、少し懐かしいエピソードを用いて、コミュニケーションの変化を考えてみたい。

今、友達や彼女に連絡するのは携帯で通話するかメールが主流。もはやそこに固定電話の出る幕はない。私の幼少期から青春時代は固定電話時代で、彼女とデートの約束をするのもドキドキものだったと記憶している。

まず、彼女の家に電話を掛けると、大抵の場合、お父様かお母様が出る。
「こんばんは。onisatoと申します。○○様はいらっしゃいますか?」
するとお父上が「あいにく娘は留守だがどんなご用件かな?」なんて返してくるもんだから
「あ、大した用事じゃありません」とか「あ、はい。いえ、、、」などよくわからん返しをしたり。
そして、時には中尾彬のようなゆっくりと低いトーンで「何の用かな?」と言われ、心臓が飛び出しそうになったり。

よく学校帰りに「今夜○時ごろに電話するから出てくれよ」なんて約束しつつも、いざ掛けると出てくれない(笑)、当時はそんなコミュニケーションを経験しながら一歩ずつ大人の階段を登っていったもの。
今じゃ考えられないけど、「電話をするための約束」という儀式。
そんなものが当たり前だった。

書店流通じゃないけど「取次ぎ」ってことを体験するわけだ。
親が先に出てしまって、取り次がれる。自分宛だ!と猛スピードで受話器を取ると彼からじゃなく親の知り合いだったり。
※そういや受話器って単語、あんまり使わなくなったなあ。

どのくらいの世代から「取次ぎ」経験が薄くなってくるのかはわからないけど、携帯やネット環境のおかげで個人間コミュニケーションはずいぶんと楽になった、と本当に思う。

次に、彼や彼女と別れた後のコミュニケーションにも変化があるのではないかと考える。
私の青春時代、学校が同じで同学年とかクラスが同じといった環境であれば関係ないかもしれないが、住む街が違うとか、学校も違うということであれば、交際が途切れたあとに連絡することがむずかしかった。今の世のように携帯がないからだ。
手紙を書くか、(固定)電話をかけるかしかないわけ。
手紙はともかく、付き合ってたころには何度も親との「取次ぎ」を経験し、覚えられているので別れた後は掛けづらい。
なので自ずと疎遠になる。
未練たらたらになりがちな男のほうは女性に対し、「元気でやってるか」的な表現ができる場所が年賀状くらいしかないわけだ。
するとどうだろう、別れた後の彼女とのコミュニケーションは1年越しになるわけです。
つまり、「おめでとう…元気にしてるかな?」といったメッセージに対し、「元気でやってるよ」の返事が翌年の年賀状に現れる(ま、現れるのはいいほうだが)

私たち世代(完全なるミドルです)が多感だったころに比べ、別れてもまたくっ付いたり、というケースや何度もくっ付いたり離れたりするカップルがいると聞く背景にはケータイやSNSのような手軽なツールが身近に発生したためじゃないかと考える。
特に「メール人格」がすばらしい人などがいるから、別れてもまた好きになっちゃうケースがあるのだろう。

このように環境・デバイスの変化は時間・場所といった制限は取り払い、持続性をもたらせた。即時性を求めるのであれば通話が一番楽だし、相手の都合を考えるとメールが良い。
不特定多数の中での発信しあうSNSなどのネット環境もある。といった具合に。

残念ながら通信手段の主役から下ろされた感がある王道ツール「手紙」はどうだろう。
手紙は今や単なる通信手段から気持ちを伝える際の感情を演出するエンタメツールとして相手に気持ちよくなってもらうための機能が求められる時代になったとも考えられるよね。
もらったらもらったで大変うれしいものである。

こうしてコミュニケーションは変わってきたのだが、どんなツールを使おうともコミュニケーションに大切なのは「気持ち」。使うデバイスや方法が変化しても大切なことは今も昔も変わらない。